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福岡市長による、自宅外飲酒自粛要請は憲法違反である。 [社会]

(1) 福岡市長は5月21日、市役所職員に酒を飲んでの暴行や飲酒運転など不祥事が続いているとして、21日から1カ月間、職員に自宅外での飲酒を自粛するように、強い要請をした。あわせて、懲戒処分の基準も厳しくし、管理監督者の責任を明らかにするなど、処分の仕方も見直す方針だと報じられている。

 高島宗一郎市長は「禁酒が抜本的解決にならないことや、プライベートまで制約することに批判があることはわかっているが、いまは非常事態。職員の飲酒自体について踏み込まざるを得ない」と話しているとのことである。

(2) しかし、市役所職員が自宅外で飲酒することは、何ら不相当な行為ではなく、強制力のない「強い要請」であるとしても、職員の行動を事実上規制するもので、職員の幸福追求権を侵害する、憲法違反の行為であると考える。

(3) 現在、大阪市役所で問題になっている、「入れ墨をした職員の処分」の問題では、解雇までが認められるかどうかはともかく、一定の入れ墨は不相当な行為なので、これを規制することには相当性がある。

 あるいは、パチンコ屋で現金が客に払われて、賭博が行われているのは明らかであり、違法行為が公然と行われている場所に公務員たる者、出入りすべきではない、などという理由で市役所職員にパチンコ禁止令を出す、というなら、違法行為、不当行為禁止の徹底ということで相当性が認められる場合があるかもしれない。

 あるいは、市役所の各部局ごとに事実上行われる酒席での歓送迎会を禁止する、自粛させる、などということであれば、職員の、純粋なプライベートの行為ではなく、準公的行事として、市としての開催をしない旨を決める、ということで相当性が認められる場合もあろう。その結果、職員の福利に反する、としても、職員は別の機会に酒を飲めばいいもので、綱紀粛正等の必要性があれば、部局ごとに酒席を持つ権利が制限できない、いうわけではないと考えるものである。

 また、酩酊するまで深酒をする行為を禁止する、とか、他人に迷惑をかけるような飲酒を禁止する、などということであれば、相当性が認められるであろう。

(4) しかし、勤務時間外、職員が自宅外で飲酒すること自体に不相当な点は全く無いのであるから、本件「要請」は、本来、職員の幸福追求権として職員の憲法上の権利である、自宅外の飲酒を、何の正当性もなく規制しようとするもので、市長の行為は、憲法違反であると考える。

 市長は、直ちにこのような不当な「要請」を撤回すべきである。


公務員は、法律で決まっているから君が代を斉唱する義務があるとの橋下市長の説に反論する。 [大阪府政・市政]

(1) 橋下大阪市長は、教員に卒業式等での起立、君が代斉唱を強制することができる根拠として、公務員が法律に従うのは当然だから、ということと、処分の正当性は最高裁でも認められている、と主張している。

(2) 公務員が法律に従うのは当然である。しかし、その法律というのがどの程度重要で、それに従いたくないという意向がどのようなもので、法律違反の結果がどのようなものかで、処分の妥当性が決まるというべきである。

(3) 法律や指示に反して、儀式を乱す行為は、当該公務員がどのような思想信条を有していても、それに基づく行為が許されないことは明らかであろう。

 しかし、そもそも卒業式で、君が代を斉唱することは、儀式における国歌斉唱のマナーを教えるためにしているものではない。儀式だから儀礼的に国歌が歌われているのであって、一糸乱れず国歌を歌うことが、教育的見地から卒業式に不可欠の要素ではない。

 「卒業式では思想信条の問題から、君が代を歌わない教師がいるかもしれないが、国家的儀式において、国歌を起立斉唱することは国際的マナーである」ということを別途教えればよいことであり、教員が全員、君が代を斉唱しなければそれを教えられない、というものでないことは明らかである。

(4) 要は、国歌斉唱は、法律や通達で定められ、一般に是認されている儀式なのに、それを乱す行為は、日の丸や君が代についての思想信条が理由であるならば、それは正当とは言えず、処分の妥当性が認められる、というのが最高裁判例の考え方だと思われる。

 何でもかんでも、法律や通達に決められたことをしない、ということで、すべて、懲戒の対象となるものではない。大したことのない法律や通達に反しても、特に問題はないのである。

(5) これに対して、大阪府が、君が代・日の丸条例を作り、大阪府職員がことさらに国旗・国歌への忠誠を誓うような制度を作ったことで、それに反する行為は条例に対する重大な違反行為となっている。

 しかし、法律制定の時もわざわざ、強制はいけないという決議までされた日の丸・君が代について、条例まで作って大阪府だけは職員に忠誠を誓わせる、などというのは、立法事実を欠き、逆に、憲法違反となるものと考える。

 この問題についての今後の判例の展開が待たれるところである。


このまま原発をやめてしまうとどうなるか。しかし、だからといって危険な原発を再稼働してよいわけがない。 [脱原発問題]

(1) 政府は、何としても大飯原発その他の原発の再稼働を実行したいようであるが、福島原発事故の原因究明や、事故収束への手順等も全く見通しが立たない中で、経済界の声をバックに、電力不足、計画停電等で脅すなどして再稼働を強行しようとしても、国民の支持を得られないことは明らかであろう。

(2) しかし、確かにこのままどの原発も再稼働ができず、原発をやめてしまうとどうなるか。

 原油や天然ガス等の化石エネルギーを使わずに大量の電気を生み出す原発が、とたんに巨大な廃墟と化す。しかも、膨大な高度放射性廃棄物の山を残す。

 しかし、これを現在、処分したり保管したりする場所はこの世に存在しない。結局、現在の原発敷地で永久に保管し続けるしかないことは、前回の当ブログ・「原発設置は、高濃度放射性廃棄物の永久保管地となることを覚悟しなければならない。TB」で論じたとおりである。

(3) 結局、原発は、このまま永久に稼働し続け、今後、科学技術が発達し、放射能を簡単に除去する時が来るのを待つしかなかったのである。

 今すぐ原発をやめてしまうと、そのような誤魔化しも効かなくなり、今から直ちに莫大な費用をかける必要が生じ、あるいは、費用をかけてもどうしようもない、とんでもない迷惑施設を全国に残すことになる。

 電気を全く生まない、迷惑だけなものが原発跡地に残る、その処理のために莫大な費用が何十年、あるいは百年以上もの間、かかる。これは、国民全体の負担で、税金で処理していかなければならないものである。

(4) 国民はその負担に耐えられるのだろうか。政府は、そのような現実を十分に認識しているからこそ、そのことを全く国民に説明もせず、なし崩し的に原発再稼働を強行しようとしているのであろう。

 しかしこれは、「依らしむべし、知らしむべからず」という姿勢であって、それだけで不当極まりないが、再び原発事故が起こるようなことがあると、原発廃止の処理費用に代えることのできない、取り返しのつかない損失を国民と、この大地に与えることになる。そして、それは今度こそ完全な人災であって、そのようなことを国民は決して許してはならないものである。

 国民はこれらの現実を直視した上で、原発再稼働の是非を考えなければならない。


原発設置地は、高濃度放射性廃棄物の永久保管地となることを覚悟しなければならない。 [脱原発問題]

(1) 現在の原発設置地は、このまま半永久に高濃度放射性廃棄物の保管地になることを覚悟しなければならない。

(2) 原発は、最終的には解体後、高濃度放射性廃棄物・使用済み核燃料を半永久的に保管する必要がある。しかし、福島原発事故のあと、どんなに安全だと政府から言われても、高濃度放射性廃棄物の半永久保管地となることを承諾するような地域が出るはずがない。その地域だけは各種補助金を出して保管地となることを了承させるとして、その周辺が許さないことで、そのような保管地を作ることは不可能であろう。

(3) その結果、行き場のない高濃度放射性廃棄物は、現在の原発敷地から動かすことができず、結局、そこにそのまま、半永久的に保管し続けるしかない、ということになるだろう。

 そこで、現在の原発敷地を広げるなどし、原発自体の稼働を続けつつ、原発敷地に、高濃度放射性廃棄物・使用済み核燃料を半永久的に保管し続けるしかない。

(4) それはつまり、原発の廃止など、できないということになるのである。原発が稼働して各種の経済効果を近隣に与えることもなく、原子力ゴミの保管地にだけさせられるなどということを地元が容認できるはずがないのである。

(5) 原発などというのは、そういうことまで考えて、始めるべきだったものなのである。今となっては手遅れというほかないのであるが、少なくとも、原発の無い国に、日本が原発を輸出する、などということがあってはならないと考える。


衆院解散は、党利党略ではなく、国民の意思を確認する適切な時期に行え。 [政治]

(1) 民主党の輿石幹事長が、5月11日の所属国会議員の会合で、衆院解散・総選挙の時期について「ダブル選挙が望ましい」と述べ、来年夏の参院選との同日選挙を実施すべきだとの考えを示した。

 これに対して、藤村修官房長官は11日の会見で「解散権は首相にある。時期を幹事長と相談するような案件ではない」と不快感を示したとのことであり、また、前原政調会長も12日、沖縄浦添市で、「解散は首相の専権事項。ほかの人間が言及することは控えるべきだ。」 と批判したとのことである。

(2) しかし、解散は、国民の意思を国政に反映させるための、憲法上、民主主義上の極めて重要な制度である。よって、首相がひとりで自由な時期に決めてよいものでは決してない。

 解散時期を決めるのは首相の専権事項である、などというのは自民党長期政権下で、野党や国民からの解散要求を拒否する方便として自民党内で勝手に言われていただけのことである。

(3) 解散時期については、世論をバックに国会等で議論し、世論は解散を求めていると主張する野党に対して、与党は、懸案山積で解散総選挙の余裕はないなどと論戦を戦わせ、不当な主張を展開する方は国民の支持を失うことで、国民の要求する時期に解散が行われることになるのである。

(4) 現在は、前回の総選挙での、任期中は消費税増税をしない、との公約に反して、民主党政権が消費税増税法案を上程している。今、解散して国民の信を問うべきかどうかは与野党の最重要争点の一つであるところ、消費税増税の前に解散するのか、あとで一連の与野党の行動について国民の審判を仰ぐのか、いずれにせよ、消費税増税、社会保障制度改革に関して解散、総選挙が行われなければならないものである。

(5) それらとは全く無関係に、来年の夏、参院、衆院ダブル選挙を行うべきだ、などという輿石幹事長の主張は、その時期が民主党に有利だ、あるいは、小沢氏に有利だ、などというだけで、国民の意思を問うのに適切な時期か、などという観点は微塵も感じられないもので、不当極まりない。

 衆院解散は、党利党略ではなく、国民の意思を確認する適切な時期に行うべきは明らかである。本来、消費税増税の前に解散により国民の信を問うべきであるが、少なくとも、消費税増税法案審理の結果が出た際は、直ちに衆議院を解散し、国民の信を問うべきである。


小沢氏の党員資格停止解除、小沢氏の茶坊主・輿石幹事長が民主党どころか、国を滅ぼす。 [野田政権]

(1) 政治資金規正法違反で起訴されたものの、灰色無罪判決を得て何の政治的責任も果たさない小沢氏について、控訴期限前にもかかわらず、5月8日、民主党は輿石幹事長が中心となって、小沢氏の党員資格停止処分の解除を強行した。

(2) 輿石幹事長は党内の「結束優先」などと言っているが、小沢氏はすでに野田内閣の増税路線に公然と反旗を翻し、配下の政務官などに辞表を提出させるなど、消費税増税法案に反対することを契機に、党を割るつもりであることは明らかであろう。

 結局、今回の小沢氏の資格回復は、民主党にとって、小沢氏が党を割るときに、行動をともにする議員の数を増やしただけの結果になったものと思われる。

(3) 輿石氏は参院幹事長時代から、鳩山首相辞任の場面でも最後まで優柔不断な態度に終始し、要するに小沢氏の茶坊主として、小沢氏の意向を実直に実現することだけを目的に行動しているように見えてしまう。

 輿石氏のそういう行動傾向はこれまで明らかだった。そんな輿石氏を「党内融和」のお題目のもと、幹事長に選んだ野田首相の見識が疑われるものである。

(4) この国にとって世紀の難題である消費税増税に向けて、党を仕切る幹事長が首相にではなく、すでに反旗を翻している小沢氏の意向を受けて行動しているのだから、消費税増税など実現できるはずがない。今後の国会は、国のためではなく、小沢氏の新党つくりの環境つくりのために進められることになる。

 この大変な時期に、国会が小沢氏にかきまわされ、不毛の政争に明け暮れていたのでは国を滅ぼす。小沢氏の茶坊主・輿石幹事長が国を滅ぼす。


原発ゼロ。電力不足を人質に、国民の生命・財産を危険にさらす原発再稼働を強行する政府の態度は許せない。 [脱原発問題]

(1) 5月5日深夜、北海道の泊電発が定期検査のために止まり、これで、日本の「原子力発電」が消滅した。

 関西電力などは原子力発電の割合が55%になっていたはずだが、日本中、少なくとも今、電力不足は全く起きていない。日本は原発などなくても、電気料金を値上げするようなこともなく、一応、何とかなるのである。

(2) 結局、真夏のピーク時の電力需要に対応できるかどうか、という問題であるが、電力会社はどのような態勢を取った上でどのように電力が不足するのか、具体的なことは全く明らかにしない。特に、大阪府・市ではこれらをすべて明確にするように要求しているが、関西電力は全く応じていない。

 しかし、揚水発電の活用や休眠中の火力発電所の再稼働など、まだまだ対応策がネグレクトされている疑いが強いものである。

(3) これらはみな、政府が電力会社に明確な指示をしないことがすべての原因である。

 本来、この夏までに政府は、原発の安全性を徹底的に調査した上で、必要な対応策を講じて、原発が完全に安全である旨を国民に保証し、断固、原発を再稼働する旨を国民に提案し、その際に、いわば過剰に安全性にこだわる人たちに対して、根拠なき懸念で電力不足によって多くの国民に迷惑をかけてもいいのか、という説得材料に、「電力不足」は使われるべきである。

(4) これに対して、今、政府がやっていることは、安全性の確認もせずに原発再稼働を決めて、そのためには、本当は有効な対応策があって、原発ゼロでも何とかやっていけると分かっては原発再稼働を押しつけられないから「計画停電」もあり得る、などと言って国民を脅迫することになる。

 国民の方はそれらをすべてお見通しなので、現状での原発再稼働など国民は許さない。その結果、しっかり1年をかけて準備すれば何ともなかったものを、対応策を全く取らなかったものだからこの夏、現実に停電などが生じてしまうかもしれないのである。

(5) しかし、これはまさに政府の無策、あるいは見通しの誤りによって、地震後1年半も経っているのに、大規模な停電を引き起こすもので、まさに犯罪的行為である。

 さらに、それが嫌なら原発再稼働を容認せよ、などという政府の態度は、本当に有効な対策も取らず原発を再稼働して国民の生命、財産を重大な危険にさらすということも含めて、二重、三重の意味で、国民に対する重大犯罪であり、絶対に許せないものである。


少子化対策の「結婚、出産促進策」。子供を産む意義を教える、などというと思想信条の自由に反する。「出産は日本社会に役立つ」ということでの政策的誘導しかない。 [社会]

(1) 5月5日の「こどもの日」にあわせ、総務省が5月4日に発表した15歳未満の子供の推計人口(4月1日現在)は、前年比12万人減の1665万人となった。 これで31年連続の減少となった。

(2) これに対して、政府も「産めよ殖やせよ」政策も取りきれず、毎年、新生児や子供は減り続けている。

 最近は、結婚して子供を作るだけの経済的余裕がない層が増えた、という問題まで生じているが、もともと、若い女性が自らのキャリアや自由な独身生活を犠牲にしてまで結婚や出産子育てをすることはできない、という人が増えて、つまり「子供はつくらない」という女性の増加が、子供が減り続けている原因であると考える。

 確かに、特に女性にとって、子供を一人産むだけでも、産むときに約1年、休職する必要があり、その後も何かと、男性と伍して全力で働くのに、いや、社会生活において自らの生を輝かせるのに、子供が重荷になることがあるのは明らかである。

 一方、子供を作ったからといって、老後、世話になれる保証も特になく、子供は、作って初めて分かる喜びが事前には分からない、ということもあって、ますます、子供をつくろうという気持ちが持てなくなってしまう。

(3) 大阪維新の会はこれに対して、結婚の意義、親となることの喜びを教えると宣言し、「家庭教育支援条例」を提案している。

第3章 (親になるための学びの支援)

(親になるための学びの支援の基本)
第10条

これまで「親になるための学び」はほとんど顧みられることがなく、親になる自覚のないまま親になる場合も多く、様々な問題を惹起していることに鑑み、これから親になる人に対して次に掲げる事項を基本として、学びの機会を提供しなければならない。
(1) いのちのつながり
(2) 親になることの喜びと責任
(3) 子供の発達過程における家族と家庭の重要性

 しかし、ことは人生観、人の生き方の価値観の問題であり、子供など作らず、結婚もせず仕事に生きるという女性の考え方、もちろん、男性もそうであるが、それを否定し、一定の価値観を押しつけることは、人の価値観や生き方を否定し、個人を尊重する近代社会の原則に反するということになるであろう。  

(4) そこで、政府としては、一定の価値観である「結婚することの意義」「子供をつくること、育てることの喜び」を教える、などということではなく、つまり、子供をつくらないことが正しいか、正しくないかではなく、若者が子供をつくらなくなると社会の健全な存続を阻害し、高齢化社会をますます増進することになって不都合が甚だしいので、純粋な政策問題として、結婚し、子供をつくることにインセンティブを与えるべく、減税措置や交付金政策を取る、ということしかできないと考える。

 民主党の「子ども手当」は、それに沿った、価値観としてではなく、子どもをつくることに実利を与えることで子どもを増やそうとする政策であり、基本的に決して間違っていないものである。

 将来の少子化対策としては、子どもが生まれることで社会経済に与える好影響、国家が使う以上の税金を納めることで国家としての黒字勘定から計算される相当な金額の各種手当てを交付して、国民を、子どもをつくるように政策的に誘導していくしかないと考える。


大阪維新の会の「家庭教育支援条例案」を批判する。 [大阪府政・市政]

(1) 大阪維新の会・大阪市議団は5月1日、保護者に家庭教育の学習機会を提供するとして「家庭教育支援条例案」を、15日開会の5月定例議会に議員提案する方針を固めたとのことである。

 報道によるとこの条例は、児童虐待や、無理難題を強いる「モンスターペアレント」の出現を防ぐ狙いで、成立すれば全国でも異例の条例となるという。

(2) あるいは、この条例には、

第15条
 乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる。

などとしている。

 しかし、愛情をもって子供を育てなければ発達障害が起こるなどと、科学的、医学的に詳細な検討を経たわけではない、短絡的な措置を政治家が決めてはいけないものである。

(3) その関係で言えば、自民党の鴻池祥肇氏が、平成15年の長崎・中学生幼児殺害事件で、テレビ番組の「そこまで言って委員会」で、加害少年が少年法で保護されて、名前も顔も出ず、謝罪もしないというなら、その親を市中引き回しにせよ、と言ったことが思い出される。

 長崎・中学生幼児殺害事件は、男子中学生が、当時4歳の男児を性的いたずら目的で誘拐した上、男児を全裸にし、ハサミ性器数箇所切り付るなどした挙げ句、立体駐車場の屋上から約20メートル下の通路に突き落として殺害したという事件である。

 世の親にとっては、自分の子供が、理解不能な性癖のある者に誘拐されて殺されたらどうしようと不安になったし、逆に、男子中学生の行動が全く理解不能なだけに、自分の子供がいつの間にかそのようになっていたらどうしようと、これまた不安になったものである。
 自分の子がこのような殺人の加害者になるのも、親としては対処不能であり、どうしようもないものである。それを、与党の有力政治家が、親を市中引き回しにせよなどと、浅はかな妄言をはくのを聞き、政府には何の対応策もないどころか、ある意味で非常に気の毒な親に対して、政府はむち打つことしかしないのかと、ますます不安になったものである。
                        .
(4) 政治家は、浅薄な世論に迎合し、科学的に不確かな根拠に基づいて短絡的な施策を取るべきではない。精緻な科学的検討を経て、真に国民のためになる法令、制度、施策を考えなければならないのは明らかである。

米大統領選、超富裕層のロムニー氏が世界のリーダーではいけないだろう。 [国際問題]

(1) アメリカ大統領選挙で、ロムニー氏が共和党大統領候補に決まり、11月の本選でオバマ大統領と雌雄を決することになった。

(2) しかし、ロムニー氏といえば昨年、ウォール街に市民のデモが「we are 99%」と叫んで押しかけた、まさにその、抗議の対象の1%である。まさしくロムニー氏は、証券会社を舞台に大富豪になったものであり、証券会社が編み出したサブプライムローンや各種デリバティブの弊害により、額に汗して働いてきた多くの労働者や、まじめな経営者が、その家庭や生活を破壊させられたものであって、一般庶民のロムニー氏への反発は、根強いものがあるように思われる。

 あるいは、今の「証券マン」には、新たなバブルは作れても、真に景気を回復させる施策など、持っているはずがないというべきだろう。

(3) また、ロムニー氏については、市民の生活感覚のない発言が多く話題になっている。アメリカ大統領はこれまでも大金持ちが多かったが、ロムニー氏はまた格別である。

 政治家がたまたま大金持ちだったとしても大統領の欠格要因ではないが、大金持ちがたまたま政治家を目指したとしても、大統領にまでなれない、ということだと思われる。

(4) 世界中で、また当のアメリカで、貧富の格差拡大が問題になる中で、余りに庶民の生活感覚とかけ離れた、超富裕層のロムニー氏がアメリカ大統領となり、世界のリーダーとして君臨するのでは、アメリカでも今後、北アフリカ諸国のような「市民革命」が必要だ、ということになってしまう。

 よもや、賢明なアメリカ国民が、ロムニー氏を次期の世界のリーダーに選ぶようなことはないと信じるものである。