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新元号を平成31年4月1日まで発表しないのは不当である。どうして誰も批判しないのか。 [新安倍政権]

(1) 安倍首相は、平成31年1月4日、年頭の会見の中で5月1日からの新元号を、4月1日に発表することを正式に明らかにした。国民生活への支障を考えて1ヶ月前に発表する、というのだが遅すぎることは明らかである。

 当ブログでは平成30年5月2日の記事で、

https://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2018-05-02-1、1年前になっても新元号を発表しないのは遅すぎる旨を書いたが、平成31年4月1日に新元号が発表されて、そこから各種書面、各種用紙などに、新元号を付けた印刷の依頼が殺到する。コンピューターその他の元号の記述も、各種作業員の人手不足になることも明らかで、国民生活の支障を考えれば、退位が決定すると同時に、あるいは遅くとも1年前くらいには発表するのが当然である 。


(2) 報道によると、保守派、天皇の権威をことさらに重視する立場の集団の政治家が、二重権威になるとして、新元号の早期発表に反対しているとのことである。

 しかし、天皇の権威と元号は全く関係がない。元号には、象徴たる天皇のそのまた象徴としての意味があるというくらいで、国民にとっては、生年月日その他、過去から使い慣れていて、生活に深く根ざしている昭和、平成という元号を、次のものに変える、というだけのことである。


(3) 一体、二重権威の支障とは何なのか。たとえば米国で、2017年1月から、次の大統領がトランプ氏になる、ということが決まって以降、オバマ大統領の権威は大きく損なわれ、いわゆる二重権威の状態になった、というようなことであろう。力をもって統治する者にとって二重権威の状態は何かと統治に支障を来す、ということだと思われる。


 しかし、天皇の地位は、それとは全く異なり、国民から徳をもって慕われる、まさに、国民統合の象徴なのである。次の天皇や次の元号が予め決まっても、現在の天皇に対する国民の敬愛の気持ちに、何か支障が生じることなど、ある筈が無い。


(4) そもそも一世一元の制度は、有史以来、明治になって初めて日本で取り入れられたもので、古来の日本の天皇制に由来するものではない。よって、大嘗祭の儀式は、1500年の歴史があるから、それを継承する、などという理由も全くない。

 むしろ、明治維新以前は国民の関心も無かった天皇制というものを国民に広くあがめさせる、国民の時空まで支配する、という観点から、かつて中国でそうだったことがある、一世一元の制を取り入れたものである。天皇の権威の関係でぎりぎりまで決めず、あるいは、新元号は新天皇により公布したい、などというのは、新憲法下の天皇制とは相容れない、極めて非民主的なものそのものである。


(5) 天皇は、憲法上、国民統合の象徴としての趣旨で、日本国の象徴である(憲法1条)。天皇の権威は、日本国の権威を形にするだけのことであり、天皇個人の権威ではない。予め次の元号を決めようが、人々の現天皇に対する敬愛の気持ちは全く変わるものではない。天皇の権威も、その意味で何らのゆらぎもない。


 政府は、国民生活の支障を考慮し、一日も早く新元号を発表すべきだと考える。

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