スクールロイヤーの制度導入に反対である。 [法律]
小学生が校庭で蹴ったボールが道に出て、バイクが転んで怪我した事件で、小学生の親に賠償義務を認めた判決には納得できない。 [法律]
(1) 6月7日、大阪高裁が、小学5年生の児童が校庭で蹴ったサッカーボールが門扉を越えて道路に飛び出し、これを避けようとして男性がバイクで転んだ事件について、小学生の親に、男性に対して1100万円の賠償請命じる判決を下したが納得できない。
これは、平成23年6月27日に大阪地裁が同様の判決を下していたところ、大阪高裁がこれを是認したものである。
(2) ゴールはもともと、校庭の門扉近くに学校が置いていたもので、そこで子どもがシュート練習をするのはごく普通の行為であり、たまに、高いボールを蹴ってボールが遠くへ飛んでいくことも普通にあることであろう。そして、ゴールの場所が門扉のそばなのだから、門扉を越えてボールが道に飛び出ることも普通にあると思われる。
(3) 本件の小学生は、「このゴールでシュート練習をしてはいけない」という注意を受けていなかったのであるから、ミスキックの責任を問うのはおかしい。
むしろ、(2)のような事態は簡単に予想できたのであるから、学校の方は、ゴールをそこに置くなら門扉の上にネットを張るべきだし、ネットを張れないなら、そんなところにゴールを置いてはいけない。
(4) また、読売新聞によると、この高裁判決では、岩田裁判長は「校庭からボールが飛び出すのは珍しくなく、注意しながら走行すべきだった」と男性の過失を新たに認定し、賠償額を約320万円減額したとのことであるが、これもおかしい。
校庭のそばは、いつボールが飛んでくるかもしれないから減速せよ、などと、自動車学校でも警察でも、運転者は、誰からも注意を受けることなどない。そんな「危険設備」なら、学校のそばに「学校有り・減速すべし」との危険表示を行うべきであるが、この判決を受けて、運転者は、事前に学校の位置を調べてから道路を走行し、学校周辺では減速すべきだ、とでもいうのだろうか。
あるいは、本件の小学生は、とんでもないことをしでかしたから、その親に責任がある、という理論構成のはずである。よくあることなら、個人の責任ではない。
(5) この事件は、簡単にボールが飛び出るような状態でネットを張っていなかった学校の責任、あるいは、ネットもないのだから、そんなところにゴールを置かず、また、そこでのボール蹴りを禁止しなかった学校の責任であり、小学生に結果発生についての落ち度はなく、よってその親の監督責任もないと考える。この判決は不当である。
不同意堕胎罪の法定刑「7年以下の懲役」は軽過ぎる。 [法律]
(1) 医師が、妊娠した交際相手の看護師に無断で子宮収縮剤などを投与し流産させたとして、不同意堕胎罪に問われた事件の東京地裁の公判で、8月5日、検察側は「命を守るべき医師が、自己保身のみのために立場を悪用した卑劣な犯行だ」と述べ、懲役5年を求刑した。
(2) しかし、これは軽すぎるのではないだろうか。そもそも不同意堕胎罪の法定刑は7年以下の懲役である。これに対して殺人罪は、死刑または無期もしくは5年以上の懲役である。
(3) 不同意堕胎は胎児に対する殺人である。この事件の「被害者の胎児の母(と敢えて言おう)」はこの子を産むつもりだった。その子の父親である被告人が、その子が邪魔になって殺したのである。それはともかく、もうすぐ確実に産まれてくる胎児を、この世から抹消したのだから「殺人」そのものであろう。
(4) 母親が、自分の意思で胎児をおろす堕胎罪との関係で、不同意堕胎罪もどうしても軽く評価されがちであるが、産むつもりの胎児、産まれてくるはずの胎児を抹殺するのはほぼ、殺人と同じ法益侵害があるというべきである。
不同意堕胎罪は死刑を含む重罰で処すべきであると考える。
除斥期間経過後の賠償を認めた最高裁判決は不当である。除斥期間を延長する法改正をすべきである。 [法律]
(1) 最高裁は、4月28日、26年前の殺人事件について、除斥期間を適用せず、加害者の賠償責任を認める判決を下した。
最高裁は、死亡を知り得ない状況をことさらに作り出した加害者が賠償責任を免れるのは著しく正義、公正の理念に反するとして除斥期間を適用しなかったのであるが、不当である。
(2) 殺人事件で死体を埋めるなどして20年以上発覚しなかった事件は、これまでに多数、存在したものと思われる。
また、最高裁は、「死亡を知り得ない状況をことさらに作り出した加害者」というが、殺人後、巧妙に逃げる等で犯人が判らなかった場合でも、被害者において賠償請求等の権利行使ができないという意味においては特に違いは無いように思われる。
(3)かつて最高裁は、予防接種訴訟における国の責任を認める際に、除斥期間の適用を排除したことがある。
しかし、これは、本来、国民の福祉を増進させ、健康被害者に対してはその原因を速やかに解明し、その後、万全の救済措置を講じる責務を有する国が、自らの不法行為について、自ら定めた20年という除斥期間という制度により、現に苦しむ被害者への賠償義務を免れるのは、著しく正義、公平の理念に反するとするもので、国民の健康被害の救済について積極的責務を有する国が、長年放置してきたことにつき、その放置期間が長ければ長いほど、より強く非難されるべきところ、20年の経過により、責任が免除されるというのは余りにも正義、公平の理念に反するとしたものである。
(4)しかし、除斥期間の趣旨は、不法行為が有ろうが無かろうが、被害者からの権利行使ができようができまいが、なにせ、 20年という時の経過により、事件そのものが風化し、証拠も散逸し、もはや不法行為による賠償手続を法的に認めることが不相当だとされるからである。
その期間を法律で20年と定めている以上、予防接種事件における国の責任等、極めて例外的なものを除いて、除斥期間の規定は守られるべきである。
(5)一方、現代は科学の進歩により、古い事件でも科学的に完全に立証する技術も発達したし、インターネットを含む各種メディアの発達により、20年やそこらの記録は国民にとっても簡単に扱える。また節目節目でメディアが思い出させてくれるから記憶も余り薄れないし、権利意識の高まりから、時の経過が権利を消滅させるというその期間が、20年というのは短すぎるように思われる。
また、死刑事件の公訴時効も25年に延長された今、不法行為による損害賠償請求が、何があっても20年で消滅する、というのはいくらなんでも短すぎるというべきである。
そこで、刑罰の時効期間の長期化と同様、除斥期間についても、現在の民法724条の20年の期間を、たとえば50年等に延長する法改正をすべきであると考える。