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福田事務次官のセクハラ問題、被害者の記者が名乗り出たのなら訳が違う。記者は強く非難されるべきである。 [報道・言論]

(1)福田財務省事務次官のセクハラ問題で、4月18日、テレビ朝日は、自社の記者が被害者であるなどと発表したが、「セクハラ被害者」だというテレビ朝日の記者が福田次官のセクハラを告発した行為は、記者の風上にもおけない、倫理を欠く不当な行動だ、と考える。

 

(2)記者が取材に行って、取材相手に自由にしゃべってもらって、その内容を相手の決して意図しない形で公表する、などというのは、あり得ない行為である。

 記者はセクハラだ、などと主張しているけれども、特別に、2人だけで話をしてもらえるように、いわば、言葉の上だけであるが、「女の魅力を使って」かなり危険な取材をしていたということであろう。

 

 しかし、取材相手に悪事をそそのかして、その証拠を取って告発し、その人間を破滅させる、そんなことが記者として許される筈がない。

 

(3)上司のセクハラなら簡単には避けることはできないから、いつまでも我慢を強いられるということもあろう。しかしこの件の場合、「縛ってもいい?」という会話が嫌なら、「これ以上言うと、上司に言い付けますよ」などと言ってスイッチを消したICコーダーを取り出せば、福田氏は絶対に、それ以上は言わないであろう。

 

 その代わり、二度と誘ってもらえなくなり、それまでの優位な取材の立場は無くなるがが、それは、他の、男の記者と同じ立場に戻るだけある。

 

 あるいは、前記のやり方は、若干ことを荒立てることになるので、嫌なら、それからは、お誘いに、いろいろ理由をつけて、断ればいいだけである。

 

(4)そういう信義を欠く、ルール違反の取材結果なので、記者の上司は、テレビ朝日としての記事にすることはできないと言って拒否したので、記者は、週刊新潮に「事件」持ち込んだ、というのが、ことの実態であろう。

 

 上司が、記者の二次的被害防止のために、記事にできななかった、というのは、あとから付けた言い訳だと思われる。記者自身が記事にしてくれと言っているのだから、記者の被害など、問題になるのはおかしい。

 

 今後、記者の上司は、部下のセクハラを放置した、ということで、批判されるようなことがあってはならない

 

(5)但し、福田氏の行為は、セクハラそのものではないけれども、記者の「女の魅力を使った取材」に応じた、という意味で非難に値し、倫理観を欠いた記者が仕事熱心な余り、(言葉遊びだけでも)「女の魅力」を使った取材をしてしまうこともあるのだから、それに応じるのはセクハラの一種だ、と言われれば、それは否定できないところである。

 

(6)福田氏の帰責性はともかく、福田氏を陥れたテレビ朝日の記者の行為の評価としては、記者として、人間としてあるまじき行為である、ということは、確認しておかなければならないと考える。


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鳩山元首相の「パスポートを没収されたらクリミアに移住する」発言、言論の自由が保障されている日本で、パスポート没収などあり得ない。 [報道・言論]

(1) 鳩山元首相が、ロシアが一方的に編入したウクライナ南部クリミア半島を訪問し、「ロシアのクリミア編入は合法」などと発言したことに国内での批判が高まっている。

 ロシアは武力でもってクリミアをウクライナから奪い取ったもので、この手続が国際法違反であって許されないものであることは国際世論の圧倒的支持が示すとおりであると考える。

(2) 鳩山元首相の今回の一連の発言に対して、日本国内では、元首相としての発言の悪影響の大きさに鑑みて、鳩山氏の旅券(パスポート)を没収すべきだ、などという意見が出ているが、その方が言語道断というべきである。

 日本には言論の自由がある。公序良俗に反し、犯罪に該当する、などという場合を除き、言論の自由は広く保障されている。政府や世論から強く非難されるような発言をするからといって、その者を、国から外へ出さない、外国へ行かせない、などということが日本で認められるはずがない。

 日本は、言論の自由が制限され、国内に幽閉されるようなことがある一部、非民主国家とは全く違う。

(3) ところが鳩山氏は3月12日、旅券を返納させるべきだとの意見が日本国内で出ていることに関連し、「没収されればクリミアに移住する可能性もある」とし、会談したロシアのベラベンツェフ・クリミア連邦管区大統領全権代表がその旨の提案を受けたことについて、「(旅券返納の)恐れがある場合、招待を受けることを否定しない。ベラベンツェフ氏に感謝したい」と述べたとのことである。

 しかし、それではまるで、日本で、政府に悪影響を与える発言をする者はパスポートを没収される可能性があるかの発言を日本の元首相が行っているもので、そちらの方が大問題であると考える。

(4) 日本は、鳩山氏はご存じないようであるが、言論の自由や民主主義が徹底的に守られている国である。元首相たる者、国外で、日本がまるでそうではないかの発言を行うのは、そちらの方こそ、厳に慎んでもらいたい。

 だからといって日本が、鳩山氏のパスポートを没収するようなことは絶対にない。しかし鳩山氏は、元首相として、内外に与える影響を考えて、発言はより慎重に行ってもらいたい。


テロと戦うフランスだが、独善、不寛容を慎み、もっと他文化を尊重してほしい。 [報道・言論]

(1) フランス連続テロに抗議するデモがフランスの国中で行われ、国全体がテロとの戦いに立ち上がっている。

 オランド大統領は1月16日、パリで演壇に立ち、「狂信的行為と原理主義、不寛容の主たる犠牲者はイスラム教徒だ」とした上で、国全体が「テロリズムに立ち向かうため団結している」と話した。

(2) しかし、そこにおごり、独善はないか。今回の連続テロでフランス国民はイスラム教徒に強い反感を覚えている。そのことを正当化して、それによって迷惑を被っているイスラム教徒のことを、主たる犠牲者だとオランド氏は表現している。

 しかし、そもそも今回の連続テロで、オランド氏自身をはじめとしてフランス国民がイスラム教徒に強い反感を持っている自体を反省してほしい。もとよりイスラム教徒全般には何の罪もないのである。

(3) むしろ、フランスではイスラム教の開祖であるハンマドを侮辱し、愚弄する風刺画の掲載も、法律的にというだけでなく、道義的にも全く問題が無いとされているが、それでいいのだろうか。

 フランスでは表現の自由の最大限の尊重が認められているがイスラム教徒が公開の場でイスラムのスカーフ・ブルカをつけることを禁止しているが、これもいかがなものか。

(4) 世界にはいろんな文化があって、いろんな価値観がある。フランスにも他の文化を愚弄しても何の問題も無いとする価値観があり、それを一概に否定するものではないが、他人の心を傷つけてでもいい、というのは、世界から共通して否定されるのではないだろうか。

 フランスも、もっと他文化を尊重してほしい。その中での、奔放なフランス文化の発展を期待したい。


フランス連続テロに抗議する。世界中の価値観を尊重しよう。世界中の人々に思いやりの心を持とう。 [報道・言論]

(1)フランスの週刊紙シャルリーほかに対する連続テロに抗議する大行進に足を運んだ人の数が370万人にのぼり、まさに、フランス革命や、第二次大戦のパリ解放以来の規模の国民の声となった。

 当ブログも、テロを断固として許さないという、この世界の連帯に対して、全面的に賛同する。また、シャルリーを始め、世界の言論機関は、このような卑劣なテロに屈することなく、世界に正義と真実の発信を、勇気をもって続けていってほしい。

(2) ということは前提として、世界中のすべての言論機関は、世界中に多くの価値観があって、それらは、他者の権利を侵害することを是とするようなものを除いて、すべて最大限に尊重されるべきである、ということに、思いを致すべきであると考える。

 また、世界中の人々に対して、最大限の思いやりの心をもって接し、他人を傷付けるような表現は、控えるべきであると考える。

(3) 最近も、北朝鮮の金正恩第一書記暗殺を描くコメディ映画の公開をめぐって、サイバーテロによる脅迫が行われた。

 サイバーテロであっても、絶対に許されないものであることにかわりはない。しかし、他国の指導者を、正面からその不正につき徹底的に批判する、罵倒する、ということが正当な言論行為であることは当然として、一国の指導者を、殺してしまう映画を、茶化して作る、などというのは、他人の心を傷付けるもので、よくない行為だと考える。http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2014-12-23

(4) われわれ日本人としても、かつて、「福島原発のおかげで、相撲がオリンピック種目になった」、などという、3本の腕、3本の足を持った力士同士が相撲をとっている風刺画がフランス紙に掲載されたことを思い出す。

 同紙は、日本からの抗議に対して、日本人にはユーモアのセンスがない、と言って反論し、謝罪に応じなかったことがあった。http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2013-09-16

(5) 政治的に正面から意見を述べて、それが他人をいかに傷付けようと、それを自制させようなどということでは世界の政治的進化、あるいは、進化そのものがとまってしまう。

 しかし、ユーモアのセンスで発表者の芸術的表現の自由を発揮する、といった表現の自由は、他人の心を傷付けてまでは,認められないのではないだろうか。

(6) 世界中の人々は、世界中の価値観を尊重するべきである。そして、世界中の人々に思いやりの心を持つべきである。人の心も、不必要に傷付けるようなことがないよう、互いに尊重しあっていくべきであると考える。その先にこそ、世界の平和がある、と考えるものである。


金正恩氏殺害の米映画、サイバー攻撃は論外だが、一国の指導者への度を超えた侮辱も許されないものと考える。  [報道・言論]

(1) 米ソニーピクチャーズの、北朝鮮・金正恩第一書記暗殺を描くコメディ映画を米国全土で上映しようとしたことにつき、同社にサイバー攻撃が行われ、「上映する映画館を攻撃する」と脅迫がなされて同社が上映を中止していた件で、米政府はこれを北朝鮮が関与しているとして批判し、オバマ大統領も「映画中止は誤り」と批判した。

(2) 言論、表現に対するサイバー攻撃や、脅迫によって言論、表現を妨害しようとすることなど、絶対に許されないことは明らかである。

(3) しかしそれはともかく、そもそもこの映画、一国の指導者をこけにしまくって、最後は暗殺するなどという内容だが、そのような映画は、まともな映画会社なら、その制作等を自制するのではないだろうか。

 国民は自らの指導者を尊敬しているもので、その侮辱は、国民全体の尊厳を冒す、ということであろう。政治的に批判する、というのは全く自由であるが、茶化す、最後は実名の金第一書記を殺す映画を作る、というのは、限界を超え、人間の尊厳を、また、国の尊厳をも冒すものとして、また、政治的批判ではないことからも、許されないものと考える。

 たとえば、国民が敬愛する元首を冒涜するような映画が作られたら、その国民はどう思うか。あるいは、自分の親を陵辱するような映画を見せられたら、われわれはどう思うか。

(4) かつて、チャップリンヒトラーを茶化し、映画「独裁者」を作って話題になったが、ヒトラーに似せた主人公が出るだけでヒトラーとは名指しせず、また、その内容もぎりぎり、指導者の尊厳を冒す、というところまでは行っていなかったように思う。

(5) 言論・表現の自由も、人間や国の尊厳を冒すことまでは認められないと考える。アングラ映画では、事実上放置され、規制の目が行き届かないのとはわけが違う。ソニーピクチャーズのようなメジャーな映画会社が、そのような映画は作ってはならないものと考える。


産経ソウル支局長の起訴は不当だ。権力者のうわさ話をするのも、為政者を茶化すのも、国民の正当な権利だ。 [報道・言論]

(1) 10月8日、産経新聞ソウル支局長が韓国朴大統領の名誉毀損の罪で起訴されたが、このような言論機関の起訴は極めて不当である。

 国民、市民は、権力者について自由にうわさ話をし、政治を論じる権利がある。その際、為政者を茶化すようなことがあるのも当然、許容範囲内に入る。そうでなければ国民、市民は政治について自由に論じることはできない。

(2) 虚偽の事実を真実であるとして公表するようなことがあれば、国民、市民の政治的判断を誤らせるから、そのようなことについては、名誉毀損として罰することも妥当な場合もあろう。

 しかし、本件ではすでに朝鮮日報その他、現地のマスメディアに掲載された「うわさ話」を引用するなどして、うわさ話がある、と記事に書いて論じただけのことである。

(3) 政治家以外についてならば、うわさ話だとして事実を広めた場合も名誉毀損に該当することになる。醜聞についてのうわさ話の存在も、その人の名誉を貶めることにもなるからである。

 しかし、こと政治家については、醜聞についてのうわさ話がある、というだけでも、国民、市民がその政治家を支持しない、ということになっても何の問題もない。そのような状態が遺憾だと思えば当該政治家自身が、そのうわさを否定し、事実でないことを証明ないし主張すべきなのである。

(4)国民、市民には、為政者を茶化してでも、権力者のうわさ話をしてでも、政治を論じる権利がある。政治と市民の関係はそういうものである。そのような中でも、広く国民が政治を、また政治家を論じ、国をよくしていくのが民主主義というものであり、韓国政府の今回の起訴が不当であることは明らかだと考える。


中田宏議員の、衆院でのNHK「低俗番組」批判は間違っている。 [報道・言論]

(1)維新の会の中田宏議員が、NHKの予算案審議が始まった3月25日の衆院総務委員会で、同局が製作する一部バラエティー番組の内容に対し、「NHKがわざわざ放送する意味があるのか」と、批判した。中田議員は、「NHKの番組が、ひとことで言うと低俗になっていないか。何だこりゃという娯楽番組が、いくつも並んでいる」と指摘した上で、「ケータイ大喜利」「コントの劇場」「七人のコント侍」の3番組をやり玉に挙げ、「何人かに聞いても、『NHKがやる番組じゃない』という答えをもらった。」などとして、国会でこんな意見が出た、ということも参考に今後の番組作りを考えてほしい、などとNHKの籾井会長を追及し、会長は「大変参考にさせていただき、今後のNHKの娯楽番組のあり方を、いろいろ研究させていただきたい」と応じたが、中田氏も籾井会長も不当である。

(2) 中田氏自身も認めるように一議員が「低俗」などと決められるものでは決してない。あるいは、それらの番組は、ニュースでも教養番組でもないから、それらに比べて「低俗」であることは明らかであるが、それがNHKの番組として好ましいか好ましくないか、ということを一国会議員の意見を参考にするものでは決してない。

 一議員でも大臣でも首相でも、ひとりの感性で、ひとつの放送局の番組編成に影響を与えようということ自体が間違っている。放送局がそんなものに影響を受けてはいけない。

(3) 議員とすれば、たとえば視聴者からの苦情が殺到した、PTA連合から批判を受けたとか、番組のせいで犯罪が起こった、いじめの原因になった、などという客観的事実を元に主張すべきものである。あるいは、番組中の暴力の表現が不当だ、などという当、不当の指摘であれば議論の対象となるが、NHKとしてふさわしくない低俗さかどうか、などというのはもっぱら感性の問題であって、一人の感性で論じるべき問題でないことは明らかである。

(4) NHKの娯楽番組の内容は、いわば国民の文化である。政治家が自らの感性で国民の文化に影響を与えようなどということ自体が間違っている。またNHKの会長も、決して政府の意向の伝達者となるのではなく、報道も文化も、政治その他の圧力からNHK内部を守る防波堤となるべき立場であることを認識すべきである。


NHK籾井会長、就任会見で従軍慰安婦問題正当化と国際放送の国策利用発言、NHKの政治的中立性をわきまえよ。 [報道・言論]

(1)NHK新会長の籾井勝人氏の就任会見が1月25日、東京・渋谷の放送センターで開かれたが、籾井新会長は慰安婦問題への個人的見解として、「今のモラルでは悪いことだが、当時の戦争地域には大体つきものだったと思う。問題は日韓基本条約で国際的に解決している。それをなぜ蒸し返されるのか」との趣旨の発言を行い、韓国の対応を疑問視したとのことである。

(2) また、籾井氏は、NHKの外国人向け国際放送の充実を重要課題に挙げ、沖縄県の尖閣諸島や島根県の竹島などをめぐる領土問題について「日本の領土であることははっきりしている」と強調し、国際放送での報道姿勢について「明確に日本の立場を主張するのは当然のことだ」と述べたとのことである。

(3) しかし、言うまでも無くNHKは、政府から独立した、言論機関である。政府の意向で特定の意見、政策を反映させてはならない機関である。新しく安倍首相の肝いりで選ばれた新会長の就任会見で、極端な政治的発言を続けることが不適切なことは明らかである。国の内外に対して、今後、NHKが新会長の意向で一定の方向、特に「戦後レジュームからの脱却」の方向で偏った放送を行うのでは無いかとの危惧を与えてしまう。危惧ところか、籾井氏なら現実にそうするのではないかとすら思えてしまう。

(4) このような人物はNHKという、公共放送機関の会長としては不適任である。言論の自由、言論機関の政治的中立をわきまえない人間をNHK会長に据えた、安倍首相の責任が強く問われるべきである。


アルジェリア・日揮人質事件で、政府・マスコミは遺族の意思を無視して氏名等の公表をするな。 [報道・言論]

(1) アルジェリア・日揮人質事件で犠牲になった9人の日本人が、1月25日、「無言の帰国」となった。この件では卑劣なテロリストの蛮行を断固非難し、犠牲になったすべての国の方々に対して、衷心より哀悼の意を表したい。

(2) 今回、日本人の被害者、生存者について、なかなか氏名が公表されなかった。日揮社では、すでに関係者、家族に対する取材攻勢で多大な迷惑を被っており、今後、被害者、生存者の氏名等を公表されるとなお一層、取材等にさらされるとして、プライバシーを理由に、氏名等を公表しないよう、政府に要請していた。

 これに対して政府は、日揮社の要請を振り切り、1月25日、被害者の氏名を発表した。但し、氏名のみで、年齢や住所は伏せた、異例のものとなった。

 また、これに先立つ1月22日、内閣記者会は政府に氏名公表を申し入れていた。その理由としては、

(ア)国民の関心が高く、政府が安否確認や情報収集で全面的に関与していること、(イ)2004年のイラク人質事件で当時の日本政府が氏名公表したこと、(ウ)本件が極めて重大事件であること。

という点を挙げていた。政府はこれらを受けて、1月25日、犠牲者の氏名を発表するに至ったが不当である。

 また、今回の報道では、政府が情報を発表しないことから、新聞などは競って情報収集を行い、各紙とも、同窓会名簿や中学卒業アルバム等から写真を集め、出典を明示して写真掲載を行う異常な事態となっている。

(3) しかし、重大事件だからといって、亡くなった方について、遺族がそっとしてほしいと希望しているのに、どうして無理矢理政府が氏名を公表し、国民に公開しなければならないか、全く理由がないと考える。

 国民の知る権利は、基本的に、参政権の行使に不可欠なものについては何よりも優先して守られるべきであるが、そうでないものについては被害者のプライバシーを優先させるべきである。アルジェリアで起こった事件の詳細や、どういう立場の人が何人亡くなったか、というのは、今後、日本政府がどのような対応策を取るか、国民全体で議論する上で必要な情報であるから、政府はこれを公表すべきであるが、何という名前の人か、どんな顔をしている人か、というのは今後の政府の対応策に全く影響を与えない。よって、被害者の意思に反してまで、国民に知る権利はないというべきである。

 確かに、どんな人が亡くなったのか、年齢は、性別は、家族はいるのか、これらが公表された方が、世間としてこの問題をより深く考えることができるのは事実である。つまり、どんなに悲惨な事件だったか、残された家族が、たとえば受験を控えた子どもが勉強も手につかない、などという背景をマスコミが取材することにより、この事件をより具体的なものとして捉えることができ、今後の対応策について世論形成する等において参考になることは事実である。

 しかし、多くの場合、新聞を見て、「小さな子どもさんが残されたんだ、可愛そうに。」という、読者の10秒間の哀れみ、あるいは家族でテレビを見て、「年老いた親御さんの悲しみはいかばかりか」という、視聴者の30秒間の同情のためには役立っても、それ以上の意味はないことがほとんどである。そんなことのために、被害者の家族の生活の平穏が、取材攻勢によって妨げられるのは不当なことは明らかだと考える。http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2009-11-14

(4) この事件では、日揮社の関係者が、「当然、氏名を公表すべきだ」というマスコミの流れに屈することなく、最後まで匿名での報道を希望したのは極めて正当な立場であるのに対して、政府がこれを無視して氏名公表したことは不当である。

 マスコミも、政府に不当に、氏名公表を要求すべきではない。被害者の氏名や顔写真その他のプライバシーは、被害者側が拒否している場合、国民の知る権利の対象ではない。政府がこれを公表するのは違法であると考える。


若宮主筆退職記念で紙面の私物化、朝日新聞よ、お前もか。 [報道・言論]

(1) 1月12日の朝日新聞・朝刊は、新年でも憲法記念日でもないのに、トップ面・左4分の1に若宮啓文主筆の署名入りの主張 「『改憲』で刺激 避ける時」 が掲載されている。特に何ということもない文章であるが、最後に6行、若宮氏が1月16日に65歳で朝日を退職し、この執筆が最後である旨、記載されている。

(2) これだけでも異例の特別扱いだと感じたが、そのあと、13面の1面全部を使って、若宮主筆による「私の見た政治の40年」が掲載されている。

 これもまた、何ということのない、まとまりもなければ新しい視点もない、若宮主筆の40年の取材をまとめた、というだけの文章である。それも当然であろう。若宮主筆が朝日新聞で政治記者をしていたという40年は、この国の政治を振り返るべき節目として何の意味も持たないからである。

(3) 朝日新聞たるもの、どうしてこんな、紙面を私物化した、「自分の記者人生の40年」などという、全く意味のない節目で日本の政治を振り返った論評を読者に読ませるのか。正義や真実を追究してきた敏腕記者も、主筆などと偉くなるとともに、また歳をとって、通常の判断力を持てなくなったのだろう。

 同じく主筆で、読売新聞では渡辺氏が、いまや「ボケ老人」特有の兆候を示していて、読売巨人軍等、多くの下部組織に多大な迷惑をかけているにもかかわらず、いまだに絶大な、絶対的権力を握っていることが有名であるが、朝日も五十歩百歩ということになる。

 朝日新聞社もまた、立派な先輩は絶対的に正義とみなされ、健全な批判のできない集団、正論の通らない集団であることが露呈している、というべきである。また、立派な大先輩に盲従する者で上層部が固められていることも問題だが、それを、間違っていると、心ある若手が指摘したりすると、出世の道を閉ざされるのであろう。

 ますますもって、次に日本がファッショへの道を突き進む時、朝日新聞はそれを防ぐのに何の役にも立たないということを、肝に銘じなければならないと感じさせる記事である。

 第一線を去って行く老人に酷な言い方かもしれないが、社会人としての40年を、これほど満天下に自分から恥をさらして終わる人も珍しいだろう。

(4) 朝日新聞たるもの、心ある記者たちの声で、早々にこのような記事の検証が行われ、反省と謝罪の記事が掲載されるものと信じるものである。


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