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侵略への反省とお詫びは、「侵略など無かった」、「アジアのための戦いだった」など主張する勢力がある限り、続けられなければならない。 [戦後民主主義問題]

(1) 戦後70年を機に、平成27年8月の終戦記念日にあたって発表される首相談話に「お詫び」を盛り込むかどうかについて、稲田自民党政調会長などは、「いつまで謝り続けなければならないのか」などと発言している。

(2) 戦後世代の人間にとって、過去のことをいつまで謝り続けなければならないのか、ということであるが、戦前世代の反省やお詫びを、戦後世代が継承することによって、二度と国民や世界を、不幸で悲惨な侵略戦争に巻き込まないようにすることができるのである。

(3) その意味で、現代の有力政治家が、昭和20年までの戦争が、侵略戦争ではなかったとか、アジアのための戦いであって、感謝されるべき面も多々ある、などという発言をしているのであるから、過去の反省が十分でなく、また、同じ道を歩んでしまう恐れも多々あることから、今もまさに、反省とお詫びを述べなければならないものと考える。

(4) さらには、最近の、安倍首相に近い与党政治家の、法的安定性よりも国の安全、基本的人権よりも国防が大事、などといった発言が多く問題になっているが、これらはまさい、国防、治安維持最優先の、国民を侵略戦争にでも引き込んでしまう戦前の国家主義思想に結びつくものである。

http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2015-07-03

 そのようなことにならないように、新憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を最も重要なものとして定めたものである。

(5) 第二次世界大戦への反省とお詫びは、そんなことをしなくても、二度と侵略戦争など起こすおそれがない、と言えるときまで、続けなければならないと考える。「侵略などなかった」「アジアのための戦いだった、などと主張する勢力がある限り、やめてはならないものである。

http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2013-08-17 

http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2008-11-03