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安倍首相の終戦記念日の式辞が、戦死軍人の慰霊、敬意と感謝に偏しているのは不当である。 [戦後民主主義問題]

 (1) 平成29年8月15日、終戦記念日の全国戦没者追悼式のお言葉、式辞で、天皇陛下は、先の大戦で亡くなった、すべての人と遺族に対する慰霊、慰安の言葉を述べられたのに対して、安倍首相の式辞は、もっぱら、戦死軍人に対する敬意と感謝の言葉で占められ、また、加害者としての反省の言葉も全く入れられていないものである。


 しかし、まさに後記の天皇陛下のお言葉の中にあるように、終戦記念日は、先の大戦のすべての死者を悼み、戦争を起こしてしまったことを反省し、二度と戦争を起こさないことを誓う祈念の日である。


 戦死者を称え、感謝の意思を国家が示すのは、次の戦死者が容易に出るように、つまり、今なら自衛隊員が思いきって命を懸けられるよう、体制を整えているもので、平和を志向することとは相容れない好戦的行為である。http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2013-12-26


 8月15日は、戦死者を称える日ではない。先の戦争を反省し、二度と戦争を起こさないことを国民すべてで誓う日である。安倍首相の式辞が戦死軍人の慰霊、敬意と感謝に偏しているのは不当である。


(2) 以下に、今年の安倍首相の式辞、全文を記する。


天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。


 先の大戦において、三百万余の方々が、祖国を想(おも)い、家族の行く末を案じながら、苛烈(かれつ)を極めた戦場に斃(たお)れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷の地で命を落とされました。いま、その御霊(みたま)の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。


 いま、私たちが享受している平和と繁栄は、かけがえのない命を捧げられた皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであります。私たちは、そのことを、ひとときも忘れることはありません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。


 戦争の惨禍を、二度と、繰り返してはならない。


 戦後、我が国は、一貫して、戦争を憎み、平和を重んずる国として、ただひたすらに、歩んでまいりました。そして、世界の平和と繁栄に力を尽くしてきました。私たちは、歴史と謙虚に向き合いながら、どのような時代であっても、この不動の方針を貫いてまいります。


 未(いま)だ、争いが絶えることのない世界にあって、我が国は、争いの温床ともなる貧困の問題をはじめ、様々な課題に、真摯(しんし)に取り組むことにより、世界の平和と繁栄に貢献してまいります。そして、今を生きる世代、明日を生きる世代のため、希望に満ちた明るい未来を切り拓(ひら)いていく。そのことに、全力を尽くしてまいります。


 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、ご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。


(3) 以下は、天皇陛下のお言葉の全文である。


本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。


終戦以来既に七十二年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。


 ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対して、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

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慰安婦問題の日韓合意で、最終的かつ不可逆的解決になったとは考えられない。 [戦後民主主義問題]

(1) 日韓両政府は12月28日、いわゆる慰安婦問題について、合意に達したと発表した。

 日本側は元慰安婦に対して「心からのおわび」を表明。また、元慰安婦を支援する事業に対し10億円規模の資金を拠出することを約束した。岸田文雄外相は、この資金拠出について、賠償ではなく、元慰安婦の尊厳回復のための事業だと説明している。

 そして、両国は、今回の合意は「最終的かつ不可逆的」なものになると発表している。

(2) しかし、その後、当事者の元慰安婦の女性らがこの合意に反発し、日本政府は正面から法的責任を認めて謝罪すべきだ、と主張しているとのことで、これを受けて韓国世論も、6割程度の国民は今回の合意に反対している。

 また、ソウルの日本大使館前の慰安婦像については、日本側は撤去が今回の合意の条件だ、と発表しているのに対して、韓国側は、最終的には民間団体が設置しているので責任は持てないと表明している。

(3) 今回の合意で、最終的にこの問題が解決したとは到底、思えない。両国政府がどんなに合意したとしても、民間が合意に異議を申し入れている限り、紛争は終わらないのは当然だからである。

 しかも、2015年12月にも、日韓条約による、すべての、それまでの個人の賠償請求権が消滅したということが憲法違反であると主張した訴訟の、憲法判断に踏み込まない韓国最高裁の判決があったが、その問題についての韓国における司法的解決はまだまだ付いたわけではない。

(4) 韓国は、大統領が代わったあと、前大統領の行為が徹底的に否定されることがある国である。次の大統領とその意を受けた韓国最高裁が、韓国民の人気取り政策で、行政機関がどんなに元慰安婦の権利が無いと決めても、憲法上、彼らの権利は失われないという判決を下せば、いくらでも今回の日韓合意は覆されてしまう。

 今回の合意は、少なくとも韓国最高裁による、元慰安婦の日本政府に対する請求権は消滅している旨の判決を待つべきだった。今回の合意は両政府が功を焦った、拙速なものだった。最終的かつ不可逆的解決があったとは、到底、考えられないところである。


侵略への反省とお詫びは、「侵略など無かった」、「アジアのための戦いだった」など主張する勢力がある限り、続けられなければならない。 [戦後民主主義問題]

(1) 戦後70年を機に、平成27年8月の終戦記念日にあたって発表される首相談話に「お詫び」を盛り込むかどうかについて、稲田自民党政調会長などは、「いつまで謝り続けなければならないのか」などと発言している。

(2) 戦後世代の人間にとって、過去のことをいつまで謝り続けなければならないのか、ということであるが、戦前世代の反省やお詫びを、戦後世代が継承することによって、二度と国民や世界を、不幸で悲惨な侵略戦争に巻き込まないようにすることができるのである。

(3) その意味で、現代の有力政治家が、昭和20年までの戦争が、侵略戦争ではなかったとか、アジアのための戦いであって、感謝されるべき面も多々ある、などという発言をしているのであるから、過去の反省が十分でなく、また、同じ道を歩んでしまう恐れも多々あることから、今もまさに、反省とお詫びを述べなければならないものと考える。

(4) さらには、最近の、安倍首相に近い与党政治家の、法的安定性よりも国の安全、基本的人権よりも国防が大事、などといった発言が多く問題になっているが、これらはまさい、国防、治安維持最優先の、国民を侵略戦争にでも引き込んでしまう戦前の国家主義思想に結びつくものである。

http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2015-07-03

 そのようなことにならないように、新憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を最も重要なものとして定めたものである。

(5) 第二次世界大戦への反省とお詫びは、そんなことをしなくても、二度と侵略戦争など起こすおそれがない、と言えるときまで、続けなければならないと考える。「侵略などなかった」「アジアのための戦いだった、などと主張する勢力がある限り、やめてはならないものである。

http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2013-08-17 

http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2008-11-03


ヒトラーと靖国神社、ヒトラーは特殊な宗教で国民を洗脳することまではしなかった。 [戦後民主主義問題]

(1) 女性タレントが、テレビのワイドショーで靖国神社について、ヒトラーの墓に参拝することに例えたことで彼女のブログに「靖国神社応援団」からの批判のコメントが殺到して、いわゆる「炎上」しているそうである。

(2) ヒトラーと靖国神社、靖国神社に祀られている人々がヒトラーのようだったか、というと、それは大きく違うのだろう。たとえ「A級戦犯」、例えば東条英機とでも、ヒトラーとは全く違う。

 方や、明治維新以降、欧米列強に遅れまいと、欧米列強がしてきたのと同じように世界に進出、侵攻していった大日本帝国の、最後の首相だっただけの人物である。それと、自らナチスを組織し、自ら個人崇拝の対象となり、世界征服を企図し、ユダヤ民族の殲滅まで謀っていたヒトラーを同一視することはできない。

(3) しかし、国民がどんな迷惑、害悪を被ったか、という観点からして、今、ドイツでヒトラーの呪縛に捕らわれている者は決して多くないが、靖国神社にはいまだに多くの国民が参拝し、世界中の批判をものともせず、首相まで参拝している。戦後69年、その影響力を国民の精神に残した大日本帝国の罪悪は決してヒトラーに劣らないと考える。

(4) 明治政府は、国家神道によって日本人を宗教的に洗脳し、天皇は神であり、天皇のために戦死すれば靖国神社で神になる、など信じさせ、それが宗教に基づくものだけに、あながち「嘘」ではなく、「罪なき人を殺して自分も死ね」と教えた、人の道に反するような宗教を子々孫々まで信じ続けさせることになっているからである。

(5) 明治政府は富国強兵を図るのに農民出身の若者を兵士として国のために死をも厭わずに戦わせるために、国家神道という宗教まで作り出した。天皇は神で、日本は神様の国で、神様の国に編入される周辺の諸民族は幸せで、天皇のために戦死すれば兵士も神となると教え込み、国民を洗脳した。その結果、若者は天皇陛下万歳と叫んで死に、靖国神社に祀られるのが本望で、その母親は息子を戦場に送り出すのが日本の女としての最大の名誉であると、少なくとも表向きには思い込まされた。

 そして、そのような宗教的洗脳は、「戦争反対」などの市民の運動、また、素朴な思いまでも圧殺することを容易にし、反対の声を押さえて1億が火の玉となって地獄に向かって突き進む大きな原因になったこともまた明らかである。

(6) 宗教とは恐ろしいものである。生死や正義までも掌るからである。宗教上の対立からもう何百年も殺し合いを続けている地域が世界にいくつもある。

 9.11にニューヨークのツインタワーにアラーの神万歳と叫びながら突っ込んだ回教徒は、その大量殺戮行為を「聖戦」と称し、これに対抗してイラクに侵攻したブッシュ大統領は自らを「十字軍」だと言ったことも記憶に新しい。

(7) すでにある宗教に基づき、国民が行動するのは「宗教の自由」の観点から政府としてはコントロールしがたい面がある。しかし、国家が国家に都合のいい宗教を作り出して国民に宗教教育をほどこし、国家のために死ぬ若者を作り出す、などというのは言語道断である。

 しかも、国民はそういう宗教を植え付けられ、現に息子や親、親族、仲間を亡くし、彼らが靖国神社に「英霊」として祀られていると信じているため、天皇が自ら、神ではなく人間だと宣言したあとでも、靖国神社を否定することは「英霊」を「英霊」ではなく「侵略者、人殺し、犬死に」であることを認めることになるもので、受け容れ難いものとなってしまった。

 そのことについての当時の日本の政府の責任は、極めて甚大なものがあった。

(9) 現在の日本の政府、指導者のなすべきことは、靖国神社に首相が参拝し、靖国神社に対して国からの関与を深める憲法違反行為を行うことではなく、二度と特定の宗教を使って国民を動かすようなことはしないこと、また、世界に向かって侵略戦争の反省の意思を表明し、先の大戦で犠牲になった兵士、市民を国民全体で、また世界の人々とも一緒に追悼できる施設を作ることであると考える。


安倍首相の、「たとえ世界を敵に回しても、正しいと信じる道を行く」という姿勢は、日本を侵略と開戦、敗戦へと導いた、戦前の日本の為政者と共通するもので、国民の利益を害すること甚だしい。 [戦後民主主義問題]

(1) 安倍首相が12月27日、靖国神社に参拝したことにつき、中国、韓国以外にも、アメリカをはじめ、ロシア、EUなど、世界各国から批判が集中している。特に今回、アメリカは「失望した」として、友好国、同盟国の日本に対して、貿易摩擦等以外では異例の発表を行った。

(2) 安倍首相は、今回の靖国参拝について、たとえ世界を敵に回しても、自ら正しいと信じる政策を取る、という信念に基づくものだと思われるが、それでは、国民をとんでもない害悪をもたらす危険に晒すことになるものであって、そのような姿勢は間違っていることは明らかである。

 これは、かつて日本を侵略、開戦、敗戦へと導いた戦前の指導者の姿勢と共通するものである。靖国神社に首相が参拝することが正しいのか、間違っているかを論じる以前に、世界中から批判を受け、近隣諸国の多大な反発を買い、無用のトラブルを起こすような行動は、国民の利益に反することは明らかで、安倍首相の行動は間違っていることもまた明らかである。

(3) 安倍首相は、戦争で兵士として国のために殉じた人を国として厚く弔うのはどこの国にも認められる、世界共通のことである、として、靖国神社へ参拝を強行したようである。しかし、先の大戦は、日本は世界に侵略戦争を行った、というのが現在の世界史の評価である。だからといって戦争で国のために命を落とした人は基本的にすべて、国が祀るべきだ、ということではある。

 しかし、靖国神社に合祀されているA級戦犯は、戦争で死んだのではなく、連合国により組織された東京裁判で、裁判の結果、死刑を執行されたものである。彼らをも悼むとなれば戦争による「戦死者」を等しく悼むという説明も崩れ、要は先の大戦の英雄を讃えるという性格になってしまっていることに気付かなければならない。

(4) 靖国神社は戦前の日本の、侵略戦争、国民を洗脳して無謀な戦争に駆り立てるために用いられた国家機関であり、戦後もその性格を変えようがない、というのは、当ブログで再三、指摘してきたとおりであるが、http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2013-12-26・・・http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2008-10-17-1安倍首相がこれに与しないとしても、世界中から批判を受け、近隣諸国の多大な反発を買い、無用のトラブルを起こすような行動は、国民の利益に反することは明らかである。

(5)安倍首相の今回の行動が間違っていることは明らかである。安倍首相は直ちに今回の参拝を世界と日本国民に対して謝罪し、二度と参拝しないことを世界に約束した上で、その姿勢が口先だけのものでないことを示すために、靖国神社とは全く別の、新たな戦没者慰霊の施設を建設しなければならなくなった、というべきである。


靖国神社は、侵略戦争遂行の過程で、神国日本、神たる天皇のために死んだ兵士らを神として祀り称える施設であり、「不戦の誓いの場」とはなり得ない。 [戦後民主主義問題]

(1) 12月26日、安倍首相が靖国神社に参拝した。安倍首相はそのことについて、「すべての戦争で命を落とされた人々のために手を合わせ、冥福を祈り、二度と再び戦争の惨禍で人々の苦しむことのない時代を作るとの決意を込めて、不戦の誓いをした。」などと表明したが、不当である。靖国神社は「不戦の誓いの場」とはなり得ない。

(2) すでのこのブログでも何度も指摘しているように、靖国神社は神国日本、神たる天皇のために若者を喜んで死なせる宗教的洗脳の施設である。「日本は神様である天皇が治めている神の国で、神の国が間違ったことをするはずがなく、神の国に併合されるのは近隣諸国にとっても名誉なことである。神の国である日本のために死ぬのはこの上ない名誉であって、当人は神となって靖国神社に奉られる。その母親も靖国の母として讃えられる。」とするものである。

http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2013-08-17

http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16

 国家神道をもとに国民を国家総動員体制で反対を一切、許さず、国民全体を洗脳して侵略戦争に突き進めさせる。神たる天皇と靖国神社は、そのための不可欠な存在であった。神たる天皇は、古来、国家権威の象徴であり、国家自身が変われば平和日本の象徴にもなり得る存在である。

 しかし、靖国神社はまさに明治維新政府が戦争推進のために作った施設であって、侵略戦争であろうがなかろうが、日本のために戦死することを奨励する施設であって、平和の施設に生まれ代わりようがない。

 日本が起こす次の戦争のためには使えても、平和のためには存在しえない。むしろ、日本が起こす次の戦争の時にもう一度、若者を喜んで国のために命を投げ出させるために使おうと思っている勢力があることは否定できないだろう。

(3) 靖国神社は不戦の誓いの場ではない。不戦の誓いの場だと思い込んでそのことを祈る遺族や国民がいてもおかしくないが、「内閣総理大臣 安倍晋三」が参拝するのであるから、靖国神社について勝手な解釈をしても、客観的には前記(2)のような靖国神社を日本の首相が称えたと、世界はそのように捉えることになる。

 A級戦犯まで祀り、戦争遂行施設であるとして特に中国、韓国から批判を受け、アメリカ等からの要人も決して参拝しない靖国神社に首相が参拝し、「不戦の誓いだ」などと言い訳しても、世界には通用しない。

(4) 靖国神社は、靖国神社に夫や父親その他、親族が英霊として奉られていると信じている遺族のために信教の自由のもとでの心情を無視できないことからその存在を否定することはできないものの、政治家が公式な立場では一切、関与すべきではないものである。首相が参拝するなどというのは、言語道断であると考える。


京都朝鮮学校周辺でのヘイトスピーチの差し止めと高額賠償、当然の判決だ。 [戦後民主主義問題]

(1) 京都の朝鮮学校前で街宣活動を行った「在日特権を許さない市民の会」に対して、京都地裁が10月7日、新たな街宣活動の差し止めと、1226万円もの高額賠償を命じる判決を下したが、当然の判決であると考える。

(2) 子供たちが勉学に励む学校前で大音量のスピーカーで大声を上げ、示威活動を行うのは、児童や教職員を畏怖させ、通常の授業を困難にする目的以外に考えられないものであって、通常の街中や朝鮮総連前で行ったというならともかく、そんなことが許されてよいはずがない。

(3) いわば、示威活動によって在日朝鮮人を日本から追い出してしまおう、日本にいづらくしてしまおう、などという意図が推定されてしまうもので、街宣活動の差し止めも当然のことである。

 あるいは、単純な示威活動と違って、民族差別に基づくものは被害者の心の傷も大きく、高額の慰謝料が認められるの妥当な結論である。

(4) 特に、在日朝鮮、韓国の人々は、歴史的に、何も好きこのんで日本に来たわけではない。その多くは強制連行や日韓併合下の国家政策に基づいて日本に来るに至り、終戦時点でも日本で生活の基盤があって、日本に残らざるを得なかったという、彼らにとっての「被害の歴史」に思いを致すべきである。

 親や祖父母らが、無理矢理日本に連れてこられて今、現に日本に住んでいるのに、無理に連れてきた側が、「出て行け」などというのは人倫に反する。いまだに、まさに本件のような差別が続いていることは不当極まりない。

(5) 民族差別をしたり、平和に暮らしている人々に対して、「殺せ」とか「日本からでていけ」などと発表することは、言論の自由の範囲外、言語道断の行為である。そういうことが続く限り、日本は、在日の人々に対して、むしろ「優遇」する義務が生じている、と考える。


英霊は、安倍首相に美化されても喜ばない。現在の日本による、反省と不戦の誓いこそが英霊の一番の望みである。 [戦後民主主義問題]

(1) 安倍首相は、終戦記念日の8月15日、都内で行われた政府主催の全国戦没者追悼式の式辞の中で、20年来の歴代首相たちが言及してきたアジアでの加害責任への反省について触れなかった。

 安倍首相は式辞で「貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません」と戦没者に向けて語った一方、主にアジア諸国での旧日本軍の行為について歴代首相が述べてきた「深い反省」や「哀悼の意」などの表現を避けた。また同じく追悼式の首相式辞で慣例となっていた「不戦の誓い」も示さなかった。

(2) しかし、先の戦争で戦死した英霊は安倍首相から一方的に美化されても喜ばないと考える。戦没者が貴い命を捧げられた、その犠牲の上に、いまの平和と、繁栄があり、そのことを、片時たりとも忘れないということも、現在の首相の誓いとして重要なものである。しかし、それだけでは、特に、英霊の気持ちに応えることにはならない。

 英霊は心ならずも侵略戦争に加担させられた。アジアを中心として非常に多くの無辜の人々の命を「大東亜共栄圏拡大」の名のもとに奪うようなことを強いる結果となった。無辜な人を殺させられて、自らも命を失うということほど、悲惨なことはない。その後の国家は、まず第一に、そのことを英霊にわびるべきである。

(3) 靖国神社の英霊は、安倍首相の今回の発言にお怒りであると考える。本当は悲惨な殺され方をしたのに、そのことを明らかにし、責任者を追及すべき遺族が、比較的よい亡くなり方だった、遺族のためにいい人生だった、などと評価したのでは死者は死んでも死にきれない、ということになる。英霊の死を美化することは、英霊の死が、そのような極めて悲惨なものであったことを隠蔽するものである。英霊の死を美化することは、極めて悲惨な英霊の死を、大して悲惨なものではなかった、美しいものであったとするものである。それでは英霊の悔しい思いに全く応えないものと考える。

 犬死にをさせられて、悲惨極まりない死を、ある意味では好ましい死であったと評価しては、痛まし過ぎる英霊の死を、過小評価するもので、英霊に対する国家としての慰霊として極めて不十分である。

(4) かつて当ブログで論じたこともあるが、http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16

暴力団に騙されて、無辜の人を殺させられて、その後、その人らから反撃をくらって死ぬ、というとんでもない悲惨な死に方をしたのに、ちょっとした事故で死んだかのようにしか評価されず、悲惨な死に方をさせた責任者の責任も追及しないようでは、死者の悔しい思いに応えられていないことは明らかであろう。

 現在の首相が、現在の日本を代表して、過去の日本の侵略戦争を反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないと誓うことにより初めて、そのような英霊の悲しみを癒やすことになると考える。


靖国神社は神国日本、神たる天皇のために若者を喜んで死なせる宗教的洗脳の施設であって、次の戦争のためには使えても、平和のためには存在しえない。 [戦後民主主義問題]

(1) ことしの8月15日は、安倍内閣から3人の閣僚が靖国神社に参拝した。また、安倍首相も参拝はしなかったものの、靖国神社に玉串料を奉納し、首相在任中にいつかは参拝したい意向が伝わっている。

(2) 安倍首相らは、靖国神社に閣僚が参拝することについて、国のために尊い命を捧げた英霊に尊崇の念を表し、平和を願うものであって、他国からとやかく言われる筋合いはない、などと主張している。

(3) しかし、靖国神社は神国日本、神たる天皇のために若者を喜んで死なせる宗教的洗脳の施設である。「日本は神様である天皇が治めている神の国で、神の国が間違ったことをするはずがなく、神の国に併合されるのは近隣諸国にとっても名誉なことである。神の国である日本のために死ぬのはこの上ない名誉であって、当人は神となって靖国神社に奉られる。その母親も靖国の母として讃えられる。」とするものである。国家神道をもとに国民を国家総動員体制で反対を一切、許さず、国民全体を洗脳して侵略戦争に突き進めさせる。

 神たる天皇と靖国神社は、そのための不可欠な存在であった。神たる天皇は、古来、国家権威の象徴であり、国家自身が変われば平和日本の象徴にもなり得る。しかし、靖国神社はまさに明治維新政府が戦争推進のために作った施設であって、侵略戦争であろうがなかろうが、日本のために戦死することを奨励する施設であって、平和の施設に生まれ代わりようがない。

 日本が起こす次の戦争のためには使えても、平和のためには存在しえない。むしろ、日本が起こす次の戦争の時にもう一度、若者を喜んで国のために命を投げ出させるために使おうと思っている勢力があることは否定できないだろう。

(4) これらのことは、すでに当ブログでも何度も指摘しているとおりである。http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16

 靖国神社は、靖国神社に夫や父親その他、親族が英霊として奉られていると信じている遺族のために信教の自由のもとでの心情を無視できないことからその存在を否定することはできないものの、政治家が公式な立場では一切、関与すべきではないものと考える。


従軍慰安婦は、当時も今も、極めて重大な人権蹂躙行為である。橋下代表が安易に「必要だった」などというのは言語道断である。 [戦後民主主義問題]

(1) 橋下・維新共同代表が、一連の「慰安婦問題」の発言について、5月27日、外国人特派員協会で会見を行った。橋下氏は、在沖縄アメリカ軍に風俗業の利用を勧めた点のみ、アメリカ人とアメリカ軍に対して謝罪したが、その他の点については「誤報」である、自らの発言を正当に報道しなかった世界の報道機関が悪いとして、自らは誰に対しても、謝罪も訂正もしなかった。

(2) しかし、橋下代表の一連の発言と今回の見解は極めて不当である。そもそも、橋下代表は、慰安婦は、当時は必要なものだったが、今の自分はこれを許せないものだったと考えているから、慰安婦問題について不当な考えを持っていないと主張しているが、現在の米軍に対して、沖縄での強姦事件を防ぐために、風俗業を利用してはどうかと米軍司令官に勧めたと自ら認めているではないか。 

 強姦を防ぐために売春を利用すべき、との考えは、「慰安婦利用」と共通するものがある。橋下氏は米軍に勧めた「風俗業」が、売買春を指すものではないなどと強弁しているが、ボーリングやカラオケでは銃弾飛び交う中を生きて帰った米兵の心は安まらないので強姦に走る恐れがある、という文脈の中での発言なのである。性交に至らない女性との交わりでは米兵を欲求不満状態で帰すことになり、却って強姦事件などを引き起こすではないか。橋下氏が米軍に勧めた「風俗業の利用」が売買春を指していないのなら、一体、どんなものを想定していたというのだろうか。橋下氏の米軍と「風俗業」の釈明は、詭弁も甚だしいというべきである。

(3) そもそも、橋下氏が、従軍慰安婦は、当時は必要だったと安易に言うこと自体、間違っている。従軍慰安婦は兵士による強姦を防ぐ、被害の小さい代替手段などでは決してない。強姦に勝るとも劣らない、極めて重大な女性に対する人権蹂躙行為である。兵士による強姦は、軍や政府としても防ぎ切れないもので、「やむを得ない」という面もあるところ、従軍慰安婦はまさに政府の意思によってことさらに行ったものであり、政府による組織的「故意犯」であるという面において、客観的悪質性はむしろ大きいという見方もできるくらいである。

 それを、当時は必要だった、などというのは、当時の見方であれ今の見方であれ、従軍慰安婦問題の人権蹂躙の重大性を無視する、政治家としてあるまじき発言である。

(4) また、橋下氏が重要視する、「軍による慰安婦に対する直接の強制連行のような行為」があったのか、なかったのか、という点も、極めて矮小な論点であるということを指摘しておきたい。

 誰が好き好んで、一つ間違えば銃弾を浴びて死んでしまう戦地に、連日、兵士たちの慰み者になるために、従軍慰安婦などになる者がいようか。仮に軍による強制連行のようなことは無かったのだとしても、軍から慰安婦調達の依頼を受けた業者が、貧困ゆえに慰安婦になるしかないような女性を慰安婦に引きずりこんだのであるから、その「人権蹂躙」の度合いは、強制連行があってもなかっても、取り立てて言うほどの違いはないと考える。

 あるいは、慰安婦調達の業者が、女性をだまして慰安婦にしたような事実はあったと認められている。また、女性の親に大金を渡し、嫌がる娘を親は無理矢理慰安婦にした、などという事実はあったと認められている。これらの女性ないしはその親は極めて貧困な状態で、娘を売らなければ食べていけないような、あるいは、娘を売らなければ一定レベルの生活を維持できないような、そんな状態を利用して、あるいは、結果として利用して慰安婦が集められ、慰安婦となった女性にとっては、銃剣や刑罰の威迫のもとで連行されるのも、貧困故に慰安婦にならざるを得なかった事態も、特に違いはないというべきである。

 さらに言えば、当時、慰安婦になるような朝鮮人女性が非常に貧しかったのは、日本政府の植民地政策も大きな原因だった場合も多々あるのである。

(5) 橋下氏はまず、これらの事実をよく認識した上で、徹底的に当時の慰安婦政策を日本人として深く反省し、真摯に被害者に謝罪すべきである。その上で、その後で、私たちはこれだけ真摯に反省し、深く謝罪しているが、慰安婦のような人権蹂躙行為を行っていたのは日本だけか、一緒に反省しよう、と世界に呼びかける資格が生じるというべきである。

 今の橋下氏は、歴史の現実を歪曲し、被害女性の人権を顧みず、今、まさに心なき発言により、新たな人権蹂躙を行っているもので、決して許されない行為であると考える。


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