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アルジェリア・日揮人質事件で、政府・マスコミは遺族の意思を無視して氏名等の公表をするな。 [報道・言論]

(1) アルジェリア・日揮人質事件で犠牲になった9人の日本人が、1月25日、「無言の帰国」となった。この件では卑劣なテロリストの蛮行を断固非難し、犠牲になったすべての国の方々に対して、衷心より哀悼の意を表したい。

(2) 今回、日本人の被害者、生存者について、なかなか氏名が公表されなかった。日揮社では、すでに関係者、家族に対する取材攻勢で多大な迷惑を被っており、今後、被害者、生存者の氏名等を公表されるとなお一層、取材等にさらされるとして、プライバシーを理由に、氏名等を公表しないよう、政府に要請していた。

 これに対して政府は、日揮社の要請を振り切り、1月25日、被害者の氏名を発表した。但し、氏名のみで、年齢や住所は伏せた、異例のものとなった。

 また、これに先立つ1月22日、内閣記者会は政府に氏名公表を申し入れていた。その理由としては、

(ア)国民の関心が高く、政府が安否確認や情報収集で全面的に関与していること、(イ)2004年のイラク人質事件で当時の日本政府が氏名公表したこと、(ウ)本件が極めて重大事件であること。

という点を挙げていた。政府はこれらを受けて、1月25日、犠牲者の氏名を発表するに至ったが不当である。

 また、今回の報道では、政府が情報を発表しないことから、新聞などは競って情報収集を行い、各紙とも、同窓会名簿や中学卒業アルバム等から写真を集め、出典を明示して写真掲載を行う異常な事態となっている。

(3) しかし、重大事件だからといって、亡くなった方について、遺族がそっとしてほしいと希望しているのに、どうして無理矢理政府が氏名を公表し、国民に公開しなければならないか、全く理由がないと考える。

 国民の知る権利は、基本的に、参政権の行使に不可欠なものについては何よりも優先して守られるべきであるが、そうでないものについては被害者のプライバシーを優先させるべきである。アルジェリアで起こった事件の詳細や、どういう立場の人が何人亡くなったか、というのは、今後、日本政府がどのような対応策を取るか、国民全体で議論する上で必要な情報であるから、政府はこれを公表すべきであるが、何という名前の人か、どんな顔をしている人か、というのは今後の政府の対応策に全く影響を与えない。よって、被害者の意思に反してまで、国民に知る権利はないというべきである。

 確かに、どんな人が亡くなったのか、年齢は、性別は、家族はいるのか、これらが公表された方が、世間としてこの問題をより深く考えることができるのは事実である。つまり、どんなに悲惨な事件だったか、残された家族が、たとえば受験を控えた子どもが勉強も手につかない、などという背景をマスコミが取材することにより、この事件をより具体的なものとして捉えることができ、今後の対応策について世論形成する等において参考になることは事実である。

 しかし、多くの場合、新聞を見て、「小さな子どもさんが残されたんだ、可愛そうに。」という、読者の10秒間の哀れみ、あるいは家族でテレビを見て、「年老いた親御さんの悲しみはいかばかりか」という、視聴者の30秒間の同情のためには役立っても、それ以上の意味はないことがほとんどである。そんなことのために、被害者の家族の生活の平穏が、取材攻勢によって妨げられるのは不当なことは明らかだと考える。http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2009-11-14

(4) この事件では、日揮社の関係者が、「当然、氏名を公表すべきだ」というマスコミの流れに屈することなく、最後まで匿名での報道を希望したのは極めて正当な立場であるのに対して、政府がこれを無視して氏名公表したことは不当である。

 マスコミも、政府に不当に、氏名公表を要求すべきではない。被害者の氏名や顔写真その他のプライバシーは、被害者側が拒否している場合、国民の知る権利の対象ではない。政府がこれを公表するのは違法であると考える。