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JR西脱線事故、山崎前社長の無罪は当然だ。被害者の理由のない怒りを正当なものとして報道するな。 [刑事裁判問題]

(1) 1月11日、JR西・福知山線脱線死亡事故で、業務上過失致死罪に問われていた山崎元社長について、神戸地裁が無罪の判決を言い渡した。

(2) この事故は、運転手が急カーブの現場を、制限速度を大幅に超過して通過したために起こったものであって、確かにATS(列車自動制御装置)を付けていれば事故は防げたが、そんなものが付いていない急カーブくらい、全国にいくらでもある。

 あるいは、赤信号で止まらない列車を止めるATSが、すべての信号機のところにあるか、といえば、そうではないだろう。本件で山崎氏の刑事責任を問うことは不当で、起訴したこと自体が間違っていたと考える。

(3) 全国の鉄道は、順次、安全策を強化していくべきものであり、その過程で、予期せぬ運転手の「暴走」があったような場合、事故が防げないのは当然である。

 その場合、運転手が刑事責任を負い、鉄道会社はその使用者として賠償責任を負うし、運転手の管理の不徹底の責任が厳しく問われるべきは当然であるが、それが、管理者としての刑事責任を問うレベルに至る、個人の過失があったのか、というのは全く別の問題である。

(4) 遺族の、鉄道会社や鉄道システム全体に対する怒りと、特定の個人が刑事責任を問われないことの怒りとは、全く別のものであり、特に刑事事件で被告が無罪となった場合は、「冤罪」の可能性も高まったものであって、2010年12月の、裁判開始の時点の当ブログにも書いたが、遺族には極めて冷静な対応が求められるところである。

http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2010-12-22-1

(5) それに対して、新聞各社は、「裁判て何だ」「傍聴席で絶句」などと、遺族の、本来、理由のない怒りを正当なものとして報道し、無罪判決が、遺族の気持ちを無視した不当なものであるかの論調の紙面を構成しているのは、不当としか言いようがない。

(6) 運の悪い人を刑に問うのではなく、真に悪い人のみを刑に問う、ということでなければ、刑罰による犯罪の抑止にならないものである。

 犯罪報道は、言うまでもなく、悪いものは悪い、悪くないものは悪くないという報道が必要であるところ、被害者の怒りをそのまま報道すると、それが歪んでしまう。

 本件のような無罪判決の報道に、被害者の怒りを正当なものとして取り上げるようなことがあってはならない。


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コメント 4

通りすがり

ごぶさたしております。
山崎氏の無罪判決、僕も妥当と思います。
会社としての責任はあると思われますが、それを個人に問うのは無茶苦茶です。しかも刑事事件として・・・
世論の無責任な暴走に対して、裁判所が正しく判決してくれる事を望みます。
(まあ山崎さんも事故調査委員会に手を回したりマズイ行動があったのは間違いないですが・・・)
by 通りすがり (2012-01-12 00:43) 

kentaro

通りすがりさん、コメント、ありがとうございました。

おかしな市民感情をそのまま報道するマスコミの対応は遺憾で、それらをもとに無理な起訴を行った検察庁は猛省すべきだと思います。
by kentaro (2012-01-12 09:36) 

NO NAME

あのような事件が発生する予測を少なくとも社長ができるわけはない。理由はなんであれ責められるべき人間は速度超過した運転手である。運転手が健康な状態で生きていれば感情のホコ先はどうなっていたのであろうか?速度超過した理由さえはっきりしないまま日勤教育など企業体質のせいにするマスコミの報道のしかたは問題である。また遺族=善、社長=悪という前提で報道しているのも問題である。明石陸橋事故も同様である。
by NO NAME (2013-09-28 11:07) 

kentaro

 NO NAME さん、コメント、ありがとうございました。遺族が、感情的にJRの取締役らを許せない、という心情になるのはよく判ります。
 しかし、遺族以外の人は、冷静に、何が今後の事故防止に役立つかを考えなければならないと思います。マスコミの報道は遺族の感情に社会が応えるべきだ、という論調が目立ち、まことに遺憾です。
by kentaro (2013-10-01 18:58) 

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