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橋下徹大阪市長は、民主主義に対する考えが根本的に間違っている。 [大阪府政・市政]

(1) 5月17日、いわゆる大阪都構想の住民投票で、極めて僅差ではあるが、反対が賛成を上回り、大阪都構想は実現しないことが決まった。また、それを受けて橋下大阪市長は政治家からの引退を表明した。

(2) 住民投票の否決を受けて、橋下市長は会見し、民主主義はすばらしい、相手を叩きつぶす、と言って戦った「いくさ」に負けても、命も何も取られない、「いくさ」に負けたから自分は退く、敵をたくさん作る政治家は、ワンポイントの登場であるべきだ、などと言っていたが、全くもって承服できない。

(3) そもそも橋下氏は、この7年間、大阪市民、大阪府民のために命がけで働いてきた、と言っているが、それ自体、違うように思う。たとえば、代理人弁護士が、もともとは依頼者のために裁判を提起したが、そのうち、依頼者の利益はそっちのけで、相手方弁護士との論争、裁判に勝つこと自体に至高の価値を見出して、純粋にそのことを目指して全勢力を傾ける。結果が出たあとは、判決の効果そのものに思い入れはなく、勝負は時の運と思い、精一杯頑張ったこと自体で一定の満足ができた、という感じであろう。

 このあとも、何度でも大阪都構想の実現を目指すとか、それが駄目なら次善の策としてこの政策の実行するとか、大阪市民の幸せのために、少しでもいい政治を行おうなどとは微塵も考えていないようである。

(4) 橋下氏の考えは、民主主義の本質は多数決で、負けた方は勝った方に全面的に従う。自分は市長選に勝ったのだから、自分の掲げた政策に従うのは少数派も含めて全員の義務である、市長選の次の多数決は住民投票で、その勝利のためには全力を尽くす、勝ったら負けた方は従え、自分が負ければ政治家をやめる。

 非常に分かりやすい橋下氏の理屈のように思う。

(5) しかし、そこには、民主主義に対する大いなる誤解があると考える。民主主義とは、最大多数の最大幸福を、構成員全員で追求していこう、という制度である。王様が決めるのではなく、構成員全員で考えることから、ひとりひとりが全員のことを考え、全員が、ひとりひとりのことを考える必要がある。

 その中で、話し合いがまとまらない場合の、最後の手段が多数決である。多数決で勝った方も、少数者の意見を尊重すべきは当然である。少数者の数が多ければ多いほど、多数者によるその尊重の度合いが大きくなるべきもまた当然である。

(6) 大阪都構想にしてみても、大阪市を消滅させるという荒療治を行うに際して、強い反対派が多数いるのだから、互いに議論を重ねて、相手の主張も取り入れて修正案を出し、それでも反対派が納得しないなら、最後は住民投票で決着を付ける、ということでなければならないはずである。

 市民の多くの疑問については、住民投票の最中に理解を得る、などというのは、最終決着に至るまでの、反対派との、また市民との話し合いを怠ってきたことの証左であって、最終段階の、大量のテレビコマーシャルによるイメージ戦略で支持を得ようなどというのは、民主主義と対極をなす、住民洗脳、住民コントロール策として批判されるべきである。

(7) 橋下氏は民主主義に対する考え方が根本的に間違っている。間違ってはいても、抜群の説得力、表現力で多数の支持を得る、天賦の才能が備わっている、希代の政治家である。

 民主主義が判らない、真の正義が判らない、その政治家が説得力と表現力で市民を誤導する、こんな恐ろしいことはないというべきである。


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