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若宮主筆退職記念で紙面の私物化、朝日新聞よ、お前もか。 [報道・言論]

(1) 1月12日の朝日新聞・朝刊は、新年でも憲法記念日でもないのに、トップ面・左4分の1に若宮啓文主筆の署名入りの主張 「『改憲』で刺激 避ける時」 が掲載されている。特に何ということもない文章であるが、最後に6行、若宮氏が1月16日に65歳で朝日を退職し、この執筆が最後である旨、記載されている。

(2) これだけでも異例の特別扱いだと感じたが、そのあと、13面の1面全部を使って、若宮主筆による「私の見た政治の40年」が掲載されている。

 これもまた、何ということのない、まとまりもなければ新しい視点もない、若宮主筆の40年の取材をまとめた、というだけの文章である。それも当然であろう。若宮主筆が朝日新聞で政治記者をしていたという40年は、この国の政治を振り返るべき節目として何の意味も持たないからである。

(3) 朝日新聞たるもの、どうしてこんな、紙面を私物化した、「自分の記者人生の40年」などという、全く意味のない節目で日本の政治を振り返った論評を読者に読ませるのか。正義や真実を追究してきた敏腕記者も、主筆などと偉くなるとともに、また歳をとって、通常の判断力を持てなくなったのだろう。

 同じく主筆で、読売新聞では渡辺氏が、いまや「ボケ老人」特有の兆候を示していて、読売巨人軍等、多くの下部組織に多大な迷惑をかけているにもかかわらず、いまだに絶大な、絶対的権力を握っていることが有名であるが、朝日も五十歩百歩ということになる。

 朝日新聞社もまた、立派な先輩は絶対的に正義とみなされ、健全な批判のできない集団、正論の通らない集団であることが露呈している、というべきである。また、立派な大先輩に盲従する者で上層部が固められていることも問題だが、それを、間違っていると、心ある若手が指摘したりすると、出世の道を閉ざされるのであろう。

 ますますもって、次に日本がファッショへの道を突き進む時、朝日新聞はそれを防ぐのに何の役にも立たないということを、肝に銘じなければならないと感じさせる記事である。

 第一線を去って行く老人に酷な言い方かもしれないが、社会人としての40年を、これほど満天下に自分から恥をさらして終わる人も珍しいだろう。

(4) 朝日新聞たるもの、心ある記者たちの声で、早々にこのような記事の検証が行われ、反省と謝罪の記事が掲載されるものと信じるものである。


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