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裁判員制度、初の死刑判決。ますます廃止の必要性が明らかになった。 [刑事裁判問題]

(1) 横浜地裁で11月16日、裁判員制度で初めての死刑判決があった。裁判官は最後に、「控訴を勧めたい」と異例の説諭を行った、とのことである。

(2) 自ら死刑判決を下しておきながら、被告人に対して、それを不服として控訴し、高裁の判断を仰ぐべきだ、などというのでは、地裁の判決への信頼、権威も無くなってしまう、というものである。

 しかし、死刑判決を下す裁判員の負担を考えて、裁判長が、「死刑判決を下したといっても、自分たちの判断が最終判断ではなく、高裁や最高裁が最終判断を行うのだ」という、そのような「言い訳」「逃げ道」を作ってあげたものと思われ、裁判長のこの発言は、特に非難に値するものではないと考える。

(3) しかし、それはつまり、一般人が裁判に参加する場合、本来、一番重要なはずの第一審が、一応、判決は言い渡すものの、完全に責任を持って下されるのではなく、本当の責任は高裁や最高裁に委ねる、ということになり、三審制の趣旨が歪められた、ということにもなってしまうのである。

(4) なまじ、裁判員制度などを導入し、一般人が裁判に参加する制度を作ったばかりに、極めて重要な、死刑事件の第一審訴訟を「不完全なもの」にし、その「不完全なもの」である第一審判決を下すために、わざわざ何日間も裁判員を拘束し、あるいは、今後、死ぬまで、苦しい経験と記憶を裁判員に強いる、そのような裁判員制度は間違っている、速やかに廃止すべきだ、と言わざるを得ないものである。

(5) 再三、言うように、裁判員制度は、国民自らが、刑事裁判を国民の手に取り戻す、そのためには仕事も家事も休む、死刑判決も毅然として、断固として下す、それが国民全体の義務でありまた権利である、との強い覚悟があって初めて、正当なものとして存続できるものである。

 そのようなものが全くなく、上から押し付けられた制度で、裁判員となった国民に対して、被害者の死や被告人の死という事態に直面させて、平穏な人生、平和な日常に大変な衝撃を与え、その生活やその後の平穏な人生を乱させ、そして、不十分な判決を下すという結果に手を下させる、そのような裁判員制度が、このまま続いてよいはずがない。

(6) 今回の、裁判員制度における初めての死刑判決で、裁判員制度廃止の必要性は、ますます明らかになったというべきである。


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