仙谷氏の「全原発停止は日本の集団自殺」発言、逆に、日本が原発廃止に向かうターニングポイントになっただろう。 [脱原発問題]
(1) 民主党の仙谷政調会長代行が4月16日、全原発停止はある意味で「日本の集団自殺」だ、と発言したとのことである。
(2) しかし、原発を廃止しても火力発電所を増設すればよいのだから、それまで電力使用制限や電気代の値上げを我慢すればよいだけのことであり、「集団自殺」はいくらなんでも言い過ぎであろう。
「集団自殺」というならむしろ、このまま原発を稼働させ続けることの方がそれに近いと考える人の方が多いはずである。
(3) 今、政府に求められているのは、原発停止時の電力不足の大変さの強調ではなく、原発の安全性そのものの確認であることは明らかである。
現在の原発がいかに安全かが納得できれば、国民は原発の再稼働に賛成するのである。しかし、どんなに電力不足のことを言われても、大規模な原発事故を回避するためなら、電力不足など甘受しなければならないと思うのは当然である。
仙谷氏は、その、原発の安全性の保障ができないものだから、逆に、電力不足の大変さを「集団自殺」だなどとして強調しているもので、まさに本末転倒も甚だしいというべきである。
(4) まさに、電力不足が本当に「日本の集団自殺」であって初めて、原発事故による広い地域の壊滅的打撃が懸念されても、その、電力不足を防ぐためには、やむなく、原発を再稼働を再開すべきだ、という立論が成り立つものである。
逆に言えば、電力不足は決して「日本の集団自殺」などではないのだから、地域の壊滅を意味する原発の大規模事故の危険性の前には、大したリスクではないことは明らかである。
(5) 今回の仙谷氏の「日本の集団自殺」発言は、逆に、電力不足ごときのことを回避しようとして、本当の「日本の集団自殺」たる原発事故を許すようなことは絶対にあってはならない、ということを国民に自覚させ、日本が原発廃止に向かうターニングポイントになったものと考える。
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