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裁判員の忌避は被告人、弁護側の当然の権利である。 [刑事裁判問題]

(1) 12月26日の読売新聞夕刊に、被告人、弁護側からの裁判員忌避が229人もあった、などとして、忌避の多さを問題にしている。奈良地裁で11月20日に行われた選任手続では36人中21人が除外される事態になった、として批判している。

 また、田口守一早大教授の、「候補者を忌避することは裁判員として裁判に参加する国民の権利を奪うことになる。差別につながるから抑制すべきだ。」とのコメントも掲載されている。

(2) しかし、裁判員法上、裁判員の忌避は理由を明らかにすることなく弁護側、検察側双方に認められている。アメリカでも、双方とも自己に有利になるように、数が許す限り、黒人をすべて忌避する等(逆も当然ある)の手段も普通に取られるものである。

(3) 田口教授は「裁判員として裁判に参加する国民の権利を奪う」とまでコメントしているが、裁判員として裁判に参加する権利と言っても抽選で選ばれた人だけの権利であって、そもそもこの権利は個々の国民に与えられた権利ではなく、いわば一般国民から適切な裁判員体を出す権利を国民全体として持っているだけというべきである。

(4) これは、被告人の、正しい裁判を受ける権利という、極めて重大な権利との比較で考えなければならないことである。つまり、専門家ではない、一般国民に裁かれる場合、職業裁判官に裁かれるよりも誤審、不適切な量刑をされる恐れが高まることは明らかである。

 本来、すべての被告人には、職業裁判官の正確な裁判を受ける権利があるとも考えられるところ、国民の参政権という観点から、裁判の正確性を多少、犠牲にしてでも国民を裁判に参加させる裁判員の制度では、適切な裁判員を選任すべきという要請は、裁判員になれる国民の権利よりも優先されるべきは当然なのである。

(5) 裁判員忌避は差別につながると田口教授は言うが、知的能力の著しく低い人は、他の一般的権利において差別されるいわれは全く無いのであるが、こと裁判員になる権利としては事実上奪われているとしてもやむを得ないところである。

 複雑な論理展開から、何としても無罪を勝ち取りたい被告人としては、知的能力の低そうな人から順に忌避していく、などということがあっても何の問題も無いものである。

(6) 以上のとおり、裁判員の如何によっては、本来、無罪になるべきところが、あるいはもっと軽い刑になるべきところがそうはならない恐れのある被告人としては、自由に裁判員を忌避する権利が認められて当然なのである。

 それが、誤審の可能性は高まることを犠牲にして、自分たちの裁判に参加する権利を優先させた裁判員制度という国家システムにおける当然の要請であると考えるものである。


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