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人間の行動は遺伝と環境で決まるのだから、安易に死刑は科せない、という決定論的立場 [刑事裁判問題]

(1) すでに、安易に死刑を求める考えに反対である旨、http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2009-06-08また、死刑判決とその執行には慎重の上にも慎重であるべきだということは、http://kentaro-0013.blog.so-net.ne.jp/2009-06-07すでに主張したとおりであるが、死刑判決その他、刑罰について論じる際に、是非考えておかなければいけないことに犯罪の「決定論的立場」がある。

(2) 極めて不正確であるが、「決定論的立場」とは、どんな犯罪者の行為も、その遺伝と環境により決定されていたのだから、彼を非難することはできず、教育等による是正、矯正ないしは隔離による新たな犯罪防止が可能な限りそうするし、それが不可能ないし不適切な場合に限って死刑により社会から完全に排除する、といったものである。

(3) つまり、どんな「極悪犯人」であっても、彼と全く同じ遺伝と環境で育った場合、誰でも同じ犯罪を犯してしまうのであるから、彼を道義的に非難することはできないということである。

 これは、純粋な科学の問題であるが、人間も生物である以上、遺伝と環境が同じであるという条件を付したならば、同じ生物体が育ち、同じ行動を取る、ということ以外にあり得ないという、ある意味で単純なものである。

(4) たとえば、全く同じ遺伝を持った双子、甲と乙のうち、片方の甲だけが犯罪に走った場合、それは甲の育った環境が乙と、少し違って悪かった、としか科学的には言いようがない、ということである。乙が、甲と全く同じ環境で育ったならば、全く同じ犯罪に走ったであろう、ということである。

 あるいは、両親がいないなど、劣悪な環境でも立派に成人したなどという場合は、同じ環境でも、持って生まれた強固な意志で悪い環境を克服したのかもしれないし、両親に代わって、その人を導いてくれる「人」や「別の、特別のいい環境」に恵まれたのかもしれない。

 なにせ、それらも遺伝や環境の一種であり、あるいは、誘惑に負けない強い意志の「人格形成責任」が問題にされたりもするのであるが、そのような意志や人格も、遺伝と環境により、形成されていく、としか言えないものであり、決して、本人の責任ではないのである。

 よって、犯罪ないし犯罪者に対する倫理的非難などということもあり得ない、ということになる。

(5) 結局、刑法でいう「違法性」というのは、人間の意思と行動は決定されている中で、社会としての否定的評価の類型化であり、犯罪による威嚇や、社会からの否定的評価が理解できて自らの行動をそれに沿うように律することができる能力を「責任能力」と呼ぶ、などという調整がなされている。

(6) これまで運が悪かった、悪い遺伝と環境の元で育った結果、人を殺してしまっただけなのに、彼を、人間の風上にもおけない、などとして非難して殺してしまうなどというのは、決定論的立場からは、社会にとっての「邪魔者」を社会から排除する、という意味しか持たないものなのである。

 あたかも彼を、自分自身で矯正、更生が可能であったのにそれをしなかったとして倫理的に非難するのは極めて非科学的な考え方であるとするのである。

(7) 思うに、彼のような遺伝のもとで生まれて、その時、その時、彼の環境で育ったならば、科学的には、彼のようにしかならない。このことに科学的に反論できるか、と言われれば、正しい、と認めざるを得ないと思われる。

 そのように考えれば、彼の犯罪が凶悪であればあるほど、また、無反省の程度がひどければひどいほど、よほど悪い遺伝と環境のもとで、それらを克服する意志を形成する機会も与えられなかったもので、極めて気の毒な存在なのであるから、そういう犯罪者の命を断って、社会から排除してそれよし、とすることはできないはずである。

 社会に戻すのはなかなか難しいとしても、少なくとも刑務所等で最後まで、つまり彼が死ぬまで矯正の努力を行うというのが、彼に対する、一般の人間、つまり、彼のようには悪い遺伝、環境のもとで育ってこなかった人間の、社会的、道義的責任であると考える。

(8) この、遺伝と環境という言葉を、「神が創りたもうた」などと言い換えれば、キリスト教的には理解されやすいのかもしれない。そのような彼も、「神が創りたもうたもの」なのであるから、人間の手でその命を抹消する、などというのは、神への冒涜なのであろう。

(9) 人間は皆、たとえ凶悪犯人であろうと、遺伝と環境により、行動が決定されるのであるから、その他の者、つまり、そのような遺伝と環境に無かったから犯罪を犯していない者から、彼を死刑にせよ、というのは、倫理的な理由からはおかしいのである。

 死刑判決を考えるにあたっては、以上の、「決定論的立場」考慮に入れるべきだと考える。


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